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高橋 俊介「仕事観キャリア観の背景と課題」

2011年02月08日

高橋俊介
慶應義塾大学SFC研究所キャリア・リソース・ラボラトリー上席所員

多くの人たちにとって、「あなたにとって仕事とは何ですか」という問いは、自問自答したり、身近な人に問いかけられたりした経験があるのではないだろうか。現在14社の様々な業界の企業の方々のご参加を得て、キャリアラボとリクルートのワークス研究所の共同研究会が進行中である。その中で仕事観キャリア観についての調査を実施中だが、その予備調査のグループインタビューでも、仕事観についてはほとんどの人が明確な持論を持っているなと感じた。

時代は職業や雇用の時代からキャリアの時代に変化しつつあると言われているが、個人の側からすると、仕事観と同様レベルまでのキャリア観を持っている人ばかりではないようだが、これら二つは当然のこととして深くつながりあっていることがわかる。

様々な先行研究や今回の予備調査から、私は仕事観が大きく3つに分類されると感じている。内因的仕事観、功利的仕事観、規範的仕事観の3つだ。西欧の歴史を見ると、ギリシャ時代には労働とは奴隷のすることであったとされ、仕事をすることはつらい卑しいことというネガティブなイメージが強かったようだ。よく知られている通り、それが一変するのがカルバニズムの登場である。聖職(Calling)と言う言葉が登場し、仕事に天からの使命という極めてポジティブな位置づけが与えられる。これが資本主義と産業化社会の推進に大きく貢献したことはご存知の通りである。これなどはまさに宗教による外部からの刷り込みによって形成される、規範的仕事観の典型と言えるだろう。

一方日本は、仕事そのものよりも、組織への忠誠や仕事への姿勢といった部分で、強い規範的仕事観が過去形成されてきたと考えられる。織田信長による一向一揆の弾圧など、鎌倉新仏教やキリスト教を弾圧し、政権にとって都合の良い宗教を都合の良い形で導入するという傾向は、日本においてその後長く続く。江戸時代を通じての朱子学の徹底などから、何をするかよりどの組織においてどう忠誠を尽くすかが問われた。武士の価値観だったそれが明治の富国強兵国民皆兵で、一般庶民にも展開され、明治を庶民の武士化の時代と呼ぶ人もいる。

大正以降のホワイトカラーの誕生、さらには戦後の財閥解体公職追放による資本化オーナー層からサラリーマン経営者への権力の移行、それによる世界でも類を見ない会社家族主義の誕生といった歴史の積み重ねにより、職務主義の色彩の弱い日本の仕事観が、ある意味お上から刷り込まれてきたとも言える。二宮金次郎の銅像による勤勉の価値観の刷り込みなど含めて、官製の規範的仕事観が大きな影響を与えてきたのだろう。

一方で高度成長の時代は、欠乏動機をドライブにして、皆で頑張って皆で物質的に豊かになる時代だった。大正時代のホワイトカラーの誕生から始まった、家庭における男女の徹底した分業や、男も女もさっさと結婚し子供を生むべきという社会的圧力による家族観が形成されるや、仕事とは専業主婦と子供たちを経済的に支えるためにするものという価値観が強まっていく。これは損害回避的な功利的仕事観と言えるだろう。当時は結婚しない、背負うものがないような男は半人前で、責任ある仕事は任せられないという雰囲気があった。

また一方でハングリーな日本人も少なくなく、いわゆる立身出世、起業家指向、大金持ちになることを目指して頑張る、達成獲得型の功利的仕事観の強い人も少なくなかった。
以上のような流れは、50歳代の方々の予備調査でも明らかになった。就職当時は働くのが当たり前、結婚後背負うものができる、という流れはこの年代の方々には良く見られるが、一方で子供も自立しキャリアの最終段階を向かえ、これから何歳まで働くのか、何のためにどう働くのか、引退したらどうしたいのか、なかなかはっきりとした自説を持っている人は少ないようだ。

一方で今の若手社員、特に入社3年以内の若手社員と話をすると、仕事を通じて得られる達成感、仕事の中身以上に誰と仕事をするのか、つまり信頼できるすばらしい仲間といっしょに何かを達成すること、仕事そのものがやっていて楽しいことといった答えが支配的になる。今の社会的風潮でもあり、大学のキャリア教育などでも重視される内省の影響が見て取れる。これらは、本人がどのような動機が強いかに大きく左右されているように見受けられる。達成動機やパワー動機などの強い人は達成系、エンパシー(共感的理解動機)などの人間関係系の動機の強い人は関係性系、それに対して私がのめりこみ系と呼ぶような動機が強い人は、仕事の中身そのものが楽しいことが重要、のめり込めるものが仕事というような、中身系とでも呼べるような仕事観を持っている。いずれにせよこれらは内的な動機、内側からの湧き上がるドライブによるものなので、内因的仕事観と考えられる。

今や日本は欠乏動機が弱まり、ハングリーや上昇志向といった人たちが持つ、達成獲得型の功利的仕事観ばかりか、結婚出産への社会的プレッシャーも低下し、損害回避型の功利的仕事観も減退している。むしろお金がなくても精神的に豊かに暮らすというスローライフ指向に進んでいるように思われる。一方でもともと宗教による刷り込みが弱く、戦後の民主主義教育の中で道徳教育などによる官製の刷り込みもネガティブに扱われ、徐々に様々な意味での規範的仕事観が薄れてきたことも確かだ。そうなると自然に内側から湧き出るものが仕事観の主体になることは当然の帰結だろう。モチベーション3.0という有名な本を引き合いに出すまでもなく、欠乏動機の弱体化した今の日本社会では外因的動機付けが機能しにくく、内因的な動機に頼った組織マネジメントが求められていくということだろう。

仕事は人生の中で時間的にも主要な部分を占めるものの一つで、苦しいのではなく楽しく充実したものにするほうが良いに決まっている。しかし一方で楽しいだけなら、達成感だけなら趣味でもよいのだ。仕事とは分業社会において、他の誰かのために価値を生み出すことである。やりたいことが見つからないので就職せず、親の経済的支援で生きていくというのは、憲法の国民の三大義務の一つである労働の義務をどう解釈するのだろうという問題になる。社会はお互い様で生きている。特に現代のように高度に専門化分業化している社会では、多くの活動が貨幣経済に組み込まれており、一人ひとりが自分の持分を果たし、価値を生み出し提供することで社会が成り立っている。基本的な仕事に関する規範性をどこかで共有していないと社会は成り立たなくなる。

かといって今さら宗教や国家主義的道徳教育に戻ることが可能とは思わないし良いとも思えない。組織との一体化と家族内分業が過度に進みすぎた結果、伝統的コミュニティーも機能しなくなっている中で、何らかの形で、現代のような変化の激しい時代に合致した、新しい規範的仕事観を共有できる社会にしていくために、学校や企業における広い意味でのキャリア教育が重要な意味を持っていると考える。

規範的仕事観で重要なものの一つが、プロ意識、プロフェッショナリズムではないかと思う。例えば自分自身が組織や顧客、社会のためにどう価値を生み出すことができるのか、自分らしい価値創出にこだわる、自らの職業人としての倫理観で自己規制するといったものは、アングロサクソンの世界で生まれた、聖職者や医者などの狭い意味でのプロフェッショナルと言う概念を参考にしながらも、現代的に新たに定義できるものだろう。今後の調査分析の進捗により、仕事観の年代別の実態や仕事観とキャリア観の関係、さらには新しい規範的仕事観共有の考え方などについて、徐々に明らかにしていきたい。その上でぜひこの議論の後半、どうすればよいのかを進めていきたいと思います。

高橋俊介(たかはし・しゅんすけ)
高橋俊介

  • 慶應義塾大学SFC研究所キャリア・リソース・ラボラトリー上席所員
東京大学工学部航空工学科卒業、日本国有鉄道勤務後、プリンストン大学院工学部修士課程修了。マッキンゼーアンドカンパニーを経て、ワイアット社(現在タワーズワトソン)に入社、1993年代表取締役社長に就任。その後独立し、ピープルファクターコンサルティング設立。2000年5月より2010年3月まで、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科教授、同大学SFC研究所キャリア・リソース・ラボラトリー(CRL)研究員。2010年4月より現職。個人主導のキャリア開発や組織の人材育成の研究・コンサルティングに従事。
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