KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

今月の1冊

2011年08月09日

魅力の島・佐渡

皆さんは新潟県佐渡島へは行かれたことはありますか?訪れたことがないという方、佐渡島にはどんなイメージをお持ちでしょうか?
佐渡島は面積855平方キロメートル、東京23区の1.5倍の面積をもつ、離島としては一番大きな島です。東京からは新幹線とフェリーで約5時間の半日がかり。沖縄に飛行機で行くより遠い島と言えるかもしれません。
行くのが大変そうだから興味ない?そう思われる気持ちを少し抑えて、もう少しお付き合いください。佐渡島は、「わざわざ」行く価値がある島、訪れた方それぞれが充実感を味わえる島だと思うからです。


まず行き方ですが、東京から行く場合、新潟から佐渡までは海路が主な手段です。新潟~佐渡間、私は断然フェリーをおすすめします。
6階建ての大型旅客カーフェリーのデッキで雄大な海を眺めながらゆっくりできる時間は、慌ただしい日常を送る私たちにはとても貴重な時間と言えるのではないでしょうか。2時間30分、海を感じながらのんびり過ごすこと自体が日常ではすでに得難いこと、何よりの休息と言えるかもしれません。
私は夕刻にフェリーに乗ったことがありますが、夕日が沈む海を見ていると、その大自然の前に日頃悩んでいることが小さなことに思え、自分にとって大切なものは何だろう?と、いつの間にか自分に問い、そして何だか希望が湧いてきたのを思い出します。
いよいよ佐渡・両津港に到着です。両津港では、能のお面の塔が迎えてくれます。
私が佐渡島を初めて訪れたのは8年前のことです。誘われて訪れるまでのイメージは、「朱鷺」「かつての島流しの場所」「自然が豊かで魚介類が美味しいのかな?」くらいで、どちらかと言うと、連れられて行ったという方が適していたような気がします。
ところが訪れてみると、太平洋とは違う厳しさと美しさをもつ日本海や樹齢300年を超える天然杉のある大自然、佐渡金山といった歴史的名所、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている宿根木(しゅくねぎ)集落、窯元が20件あるという無名異焼や能・民謡に和太鼓集団の鼓童といった芸術、豊かな食と地酒、そして何より温かな島民の方。
佐渡の魅力はその面積と同じように大きく、日常を忘れて好奇心をかきたてられ、歴史を身近に感じられる、そんな島でした。
佐渡のさまざまな魅力のうち、私が心惹かれた佐渡の文化-能-についてご紹介します。
佐渡ほど能が庶民の生活のなかに浸透しているところは全国でも珍しく、能の大成者・世阿弥が佐渡に流されたこと、能楽師出身の佐渡奉行・大久保石見守長安が能楽を奨励したことが大きく影響しているそうです。
初めは奉行所役人たちの教養として取り入れられた能が、次第に神社に奉納する神事として発展していき、現在も島に30以上ある能舞台の大部分は、神社内にあり、なかには神社の拝殿を兼ねたものもあるなど、そのルーツを知ることができます。佐渡には18代続く佐渡室生流の本間家がありますが、ムラの守り神である神社を中心にかつてはムラの数と同じ200以上もの能舞台があったことからも、村人が能を愛し生活に密着していたものだったのだろうと容易に想像できます。
今でも能が盛んな佐渡では、毎年4月から10月まで、特に6月~8月は各地の能舞台で島民によって能が演じられ、平成23年は23公演予定されています。
神社内にある能舞台がほとんどのため屋外鑑賞で、その多くは薪能です。日が暮れ薪に火が灯され始まる薪能は厳かではあるものの、ホールでみる能とはひと味違い島民の方々と一緒にリラックスして、そよぐ風と夏の匂いを感じながら観ることができます。
ここで、世阿弥について少し触れたいと思います。
ご存知の方も多いと思いますが、世阿弥は室町時代初期の猿楽師で、父観阿弥と共に芸術としての能をつくりあげ多くの書を残しています。幼い頃から父による英才教育を受け、3代将軍・足利義満の寵愛を受けて成功したものの、6代将軍・義教には疎まれ、齢72歳にして佐渡島に流されたのです。
佐渡には世阿弥の故郷、奈良の長谷寺を模したとされ世阿弥が最初に参拝した長谷寺(ちょうこくじ)、当初の住処だったと言われる万福寺趾や、その後長らく住んだと言われる正法寺があります。
世阿弥については奥が深く、私がここに書くのは力不足ですが、慶應MCCで10月に開講する『田口佳史さんに問う【東洋思想と日本文化】』の第3回では『世阿弥、宗祇と「幽玄・風雅」』が取り上げられる予定です。日本を代表する美意識「わび・さび」が集大成をみた室町時代の中心人物である能楽の世阿弥と連歌の宗祇に目を向け、彼らの業跡と波乱の人生を重ね合わせ、幽玄風雅の極に参加者の方々が思いを馳せることになるでしょう。
本講座の参考文献に挙げられている『風姿花伝』。これは父・観阿弥の教えを世阿弥が記したもので、能を演じるための実践的な内容のみならず、芸術論としての価値も高く「まことの花」「幽玄」「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず」といった有名な言葉も記されています。
世阿弥のことに触れてから、あるいは『風姿花伝』を読んでから旅をしたら、佐渡はまた違った一面を見せてくれるでしょう。
また、佐渡には世阿弥だけではなく、順徳天皇や日蓮も流されたと言われています。歴史上の人物の足跡をたどる旅も趣のある楽しみ方と言えるでしょう。
この他にも佐渡には、日本海の荒波が創り出した荒削りの断崖と岩礁2kmにわたる狭湾美に圧倒される尖閣湾を代表とする大自然や、江戸時代の採掘風景が再現され、当時の厳しい採掘環境や人々の姿が手にとるように感じられる歴史的名所で世界遺産暫定リストに記載された佐渡金山など、魅力はまだまだ数多くあります。
一般的に佐渡は、北陸や西日本の影響を強く受けていると言われており、これは、古くから貴族や知識人たちが京より流されてきたことや、西回り航路で西日本や北陸の文化が直接佐渡に運ばれたことによるものです。そこから、3つの文化(流人たちがもたらした貴族文化、金山の発展で奉行や役人たちが江戸から持ち込んだ武家文化、商人や船乗りたちが運んできた町人文化)がそれぞれの地域で発展し、混然一体となって育まれた独特の文化を形成していると言えるそうです。
混然一体となった文化は様々で、大自然を楽しむも良し、歴史に触れるも良し、能や無名異焼、現代の和太鼓など芸術に親しむも良し、山海の幸と地酒に舌鼓を打つも良し。
佐渡は自分にあった楽しみ方ができる懐の深い島、自分を写し出す島、新たな自分を発見できる島、好奇心をかきたてられる島、そして歳を重ねると自分の興味はどこにいくだろうか?と、大人になることや歳月を重ねることの楽しみを感じられる、そんな島なのです。
(中山彩子)
参考資料

                         

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