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『あかね空』

2012年06月12日

著者:山本一力; 出版社:文藝春秋; 発行年月:2004年9月 ; ISBN:978-4167670023; 本体価格:660円
書籍詳細

二年前、『パーマネント野ばら』という秀作映画が公開された。
どうしようもないダメ男に惚れる、これまたどうしようもないダメ女達を、温かい眼差しで包み込んだ西原理恵子の同名漫画の映画化である。
菅野美穂が演ずる主人公を取り巻くダメ男のひとり、継父(宇崎竜堂)が語るセリフがいい。
「男の人生はなぁ、真夜中のスナックや」
「夜中の二時に、スナックをハシゴする男の気持ちがわかるかぇ。二時でぇ。次の店はきっとここよりろくでもない。けんどワシという男の人生を、ここで終わりにするわけにはいかんのや」
真夜中のスナックに仮託した思いは、人によって違うだろう。女、ギャンブル、商売、政治、事業etc、いずれも「かなわぬ夢」である。


きっと無理だと分かっていても、最後のチャンスに賭けてみたい。いや賭けずにいられない。勝負の土俵から降りられない。男という生き物は、程度の違いこそあれ、同じ性(さが)を抱えている。
直木賞作家 山本一力氏もそういうタイプの男である。
結婚を三度繰り返し、借金と女遊びを重ね、職を転々としながら、45歳を過ぎてから小説家を目指す。夜中の二時どころか、明け方近くになってもスナックのハシゴを止められなかった男だ。
山本一力が、星屑のように消えていく数多のダメ男と違ったのは、東の空があかね色に染まろうとする時分に、辿り着いた最後のスナックで、ついに夢をかなえてしまったことだ。
山本は54歳の時に、『あかね空』で直木賞を取り、ダメ男生活から抜け出した。いまでは、超売れっ子の時代小説の書き手である。
「かなわぬ夢」をかなえた男、それが山本一力である。
『あかね空』には、最後まで人生を信じる清々しさがある。だから読んでいて気持ちよい。
言い換えれば、「こういう風に生きたい」という男達の願望を引き受けてくれる本である。
舞台は、江戸中期の深川である。主人公の永吉は、京の東山生まれ。十二で豆腐屋に下働きに出て十余年。腕のいい豆腐職人であった。
「江戸には人がぎょうさんいてはる。あれなら豆腐もようけ売れるで」
江戸から帰ったばかりの大豆問屋の手代の言葉を信じて、永吉は単身江戸に出る。
深川の職人町の裏店ではじめた小さな豆腐屋「京や」を、一代で、永代寺仲見世に大店を構えるまでに成長させる。
永吉は、ただ真っ直ぐに挑戦を繰り返す。当然ながら、腕が良いだけでは結果はでない。妻おふみが、捨て身の行動力でそれを助ける。二人の熱意にほだされた「拾う神」的な江戸っ子達が絶妙のタイミングで登場する。
『あかね空』は、単なる成功物語ではない。腕を信じて愚直に進む男と、それ以上に真っ直ぐな気性で支える女。陰に陽に夫婦を助ける下町の人情もしっかりと描かれている。
四百頁を一晩で読み切らせる筆力をもった小説である。
山本一力のエッセイ『家族力』に収められた「私の直木賞プロジェクト」という一文を読むと、『あかね空』は、山本一力の人生から絞り出された濃縮果汁のような作品であることがよくわかる。
一力氏の放蕩と山師の血筋は、早くに亡くなった父親譲りのようだ。貧しかった少年時代の一力氏は、新聞配達をしながら、苦学して定時制高校を卒業した。
骨身を惜しんで働く気性はこの時に身についたが、事ある毎に父譲りの山師の血も騒ぎだす。しかも天性の話術や筆力を合わせ持っていた。その才能が、本人までをも惑わせてしまうのが、ダメ男特有の弱さからもしれない。
事業を興しては女遊びに費やし、やがては潰すという失敗を幾つか挟みながら、旅行会社、広告代理店、販促企画会社を転々としつつ、企画マン、営業マンとして糊口をしのぐ毎日であった。
42歳の時、16歳下の現奥さんと3度目の結婚をする。新妻の実家は、銀座で酒屋を営む資産家であった。実家に生じた相続問題を仕切り裁くうちに、またしても山師の血が騒ぎだし、大失敗。2億円を超える借金を抱えた。そのすべてを妻の実家が背負った。
どうやって借金を返すか。突き詰めて、突き詰めた上でたどり着いた結論が、「作家で身を立てる」ことだった。
いかにも「真夜中のスナック」男が考えそうな荒唐無稽な思いつきではないか。
ところが、なんと若妻は、この言葉を信じた。
「あなたならきっとできるから、ベストセラーを書いて借金を返しましょう」
夫が書いてきた企画書や宣伝文を読んでいたとはいえ、この期に及んで、こういう会話を出来る夫婦であった。
しかも、小説家を目指す決意をしてから、直木賞を取るまで5年以上かかった。その間の生活を、子供二人を抱える奥さんが一人で支えた。
普通ならありえない、むしろ滑稽としか言いようのない。でも男が理想とする夫婦像であろう。
ふたりの夫婦観・家族観は、『あかね空』の永吉、おふみの夫婦像、子供たちを含む家族のあり様に投影されている。
『あかね空』は、中盤を過ぎると、成功物語から家族の相克と再生の物語へと少しずつ様相が変わっていく。永吉、おふみの人生には、小さな誤解や後悔がオリモノのように積み重なっていく。それはやがて、家族という小舟を軋ませていく。
商売が順調に育つほどに、愚直な職人であった栄吉は、家族への愛情を上手に伝えられない不器用さが際立ち、一途な妻であったおふみは、その気性ゆえに子供への愛を偏執的に歪めてしまう。
両親を相次いで亡くした子供たちは、ばらばらになり、「京や」を騙し取られる寸前までいってしまう。
しかし、最後の最後、土壇場で、家族は踏みとどまり、店を守ることができる。
「堅気衆がおれたちに勝てるたったひとつの道は、身内が固まることよ。壊れるときは、かならず内側から壊れるもんだ。身内の中が脆けりゃ、ひとたまりもねえぜ」
物語のキーマンともいうべき渡世人 傳蔵が言うセリフに、一力氏の家族観が凝縮している。
人間が危機を乗り切るときに頼りになるのは、個人の力量ではない。ましてや運ではない。最後は家族の力だ。
山本一力氏には4年前に『夕学五十講』で話してもらったことがある。身体は大きくはないが、精悍な顔には角刈りがよく似合う。目は優しく、バリトンが響くよい声で、洒脱な会話をする。
女にも、男にもモテそうな魅力的な人間である。ダメ男がモテるのは、きっとこういう魅力があるからだと思わせる。
一力氏の小説には、決まって同じ人物象が描かれる。 曲がったことが嫌いな渡世人、無骨で一途な職人、勝気で突っ走りがちな女、人知れず若い者の道を用意する老人。
いずれの人物も、からだの真ん中に心棒があって、性根が清く澄んだ人々だ。
それは一力氏が出会ってきた人々の魅力を、濾過器にかけて純化したような造作かもしれない。
真夜中のスナック街を彷徨するダメ男が1000人いるとすれば、999人は惚れた女もろとも、どこまでも堕ちていく。
そうなることを皆が知っているから、途中で無理矢理酔いを醒まし、人生に折り合いをつけて、地獄に続くハシゴから降りていく。
でも、こころのどこかで、「真夜中のスナック」を探したかったという果たせぬ願望を引きずっている。最後まで自分を信じてくれる家族を持ちたいと願っている。
山本一力の小説は、「かなわぬ夢」が、「かなうかもしれない夢」だと、つかの間、錯覚させてくれる。
(城取一成)

あかね空』 山本一力(文春文庫)

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