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今月の1冊

2012年11月13日

『聡明な女は料理がうまい』

聡明な女は料理がうまい
出版社:アノニマ・スタジオ; 発行年月:2012年10月(復刊); 本体価格:1,728円

ジャケ買いとでも言うのでしょうか。本屋でタイトルを見ただけで思わず手にとってしまった1冊。聡明な女という言葉に憧れたのか、聡明な女=料理がうまいという方程式にどこか反発を感じたのか、とにかく「読んでやろうじゃないか」と思わせるこのタイトル。
最近、手早いだけで料理とも呼べないものばかりで、きちんと台所に立っていないなぁという自分自身への後ろめたさがあったことも確かです。
本書の初出はなんと30年以上も前の1976年。著者である桐島洋子さんは『文芸春秋』の記者としてキャリアを積むも、未婚の母となり3人のお子さんを生み育て上げた方です。

それぞれの出産も信じられないほど壮絶。身籠っていることすら会社にはひた隠して出産した1人目、医療費がかからないという理由からの船上出産の2人目、しまいにはジャーナリスト魂も全開で戦時下のベトナムにての出産という3人目。こんな山あり谷ありの人生を生きつつも、知的でお洒落で、どこか肩の力が抜けた生き方をされている女性として有名かもしれません。私も高校生くらいの時だったでしょうか、自分の母親と同世代の女性の生きざまとしてはあまりにも衝撃的で、こんな生き方もあるのだと感心したのを覚えています。さらに、社会人になってからも著書『寂しいアメリカ人』を読み、明るく自由闊達に見えていたアメリカ人のまた違う一面を見せられたようで、社会を見る眼の多面性について教わったものです。

本書のなかで桐島さんは「料理を愛する心は人生論よりためになる」と言い切っています。
この1冊は、料理本ではなく人生論として味わうことができるのです。
すぐれた料理人になるために必要な条件とは「勇敢な決断力」「実行力大胆かつ柔軟な発想」「鋭い洞察力」「物に動じない冷静な判断力」「不屈の闘士と責任感」「ゆたかな包容力」「虚飾のないさわやかさ」…等々、と枚挙に暇なくあげられています。1週間の献立を検討し、今日は何を買うべきか決める”決断力”、毎日新しい献立のアイディアがわき出る”発想力”、揚げ物と煮物を同時進行でつくりあげる”判断力”。桐島さんのあげる料理人に必要な条件を並べてみると、これらの力がどこかで聞いたような、そう、ビジネスにおいて大切な能力、特にリーダーシップとして必要な要素であることに気がつきます。言わば、台所で養われる力はビジネスにて仕事をする際にも大切な力であることを教えられているように感じます。

本書にはスプーン何杯、材料何グラムといった料理の細かな作り方なんて一切書かれていません。まずは、「台所道具とは婚前交渉を」という桐島さんらしいドキッとするような章立てとともに、台所づくりはかくあるべきか紐解いています。相棒として末永くつきあう道具を買うためには、自分の台所を持つ前に親の台所の長所短所をよく研究しておく、必要以上の道具は持たない、整理整とんをし、いつ誰が台所に入ってもいいように整然としておく等、自分の台所に責任を持ち、”エブリシング・アンダー・マイ・コントロール”の精神でいこうと説いています。そろえるべきものをそろえた台所でも支配を誤ればたちまち混乱に陥る、というわけです。自分の生き方、あり方にはオーナーシップを持つ。たとえ、自分にとって不都合なことが起こっても、それを他責にはしない。ここでは、自分の人生は”自分”が責任をもって生きることを教えてくれているように思います。

自分の台所ができたところで、次に、料理は合理化していくべきであることをすすめています。しかし、ここでいう”合理化”とは、単に手を抜くことではありません。まずはこまめに市場(スーパー)に通い、旬なものはなにか、何がおいしいのか、”今”をリサーチすることから。そして、時間のある時に玉ねぎを飴色に炒めたものやみじん切りにしたものを冷凍しておけば、下ごしらえの時間が大幅に削減されるというのです。現在のように大きな冷凍冷蔵庫や電子レンジが当然ではなかった30年前という時代に、これらのことをサラッと書きあげてしまうことにも驚いてしまいます。3人のお子さんを育てながら仕事を持つなか、日々の知恵から生まれたものなのでしょう。手間ひまをかければかけるほど心がこもるもの、昔からの方法や手順にやたら固執して、合理化や省力化には眉をひそめる人のことをバッサリと切り、シガラミを断ち切り、自由な人間として、みずからの意欲で積極的に料理を楽しんでこそ、ゆたかな収穫も望め、そこに創造の喜びが生まれると書かれています。やらされ感では創造的な良い仕事はできないし、過去にばかり固執していては、成長ある人生を歩むことは難しい。ここでも、料理に向き合う姿勢は、働く、生きる姿勢に大切なことと共通していることを知ります。

海外での生活もあり、フリーのジャーナリストとして海外放浪の経験も豊富な桐島さんは、当時、日本の家庭には敷居の高かった「パーティの開き方」も解説しています。子どもの誕生日会から親類が集まる会、さらには恋や結婚のきっかけをつくるミクシングパーティまで、さまざまなパーティのポイント、そこでは、どんな料理やしつらえが喜ばれるか、時に、桐島さんの日本人離れした感性のなかで、”日本らしさ=自分らしさ”を出すことを強調していることも特筆すべき面白い点かもしれません。人が集まる心地よい空間をつくりだすということは、人とのじょうずな出会いのつくり方、つなげ方、関わり方を示唆しています。多くの人と闇雲に出会い、話すことだけがパーティではありません。いつも会っているあの人とゆっくり対話し、向き合うことも大切な出会い、パーティです。そこで、どのようなしつらえをし、場をつくるのか、料理が鍵となることは言うまでもないのです。

翻って、我が家の台所はどうでしょう。自分の台所として自信のある場になっているだろうか。創造的なものが生まれる場になっているだろうか。人と人の出会いを生みだすような空間をつくりだす担い手となっているだろうか。恥ずかしながら、いまの私の台所は、どれも心許ないのが正直なところです。

そういえば、私が”自分の台所”を持つ時、母が最低限の調味料や必要なものを1回分だけ包んで持たせてくれたことを思い出します。味噌汁1回分の味噌、小さな容器に入れたみりんに醤油、出汁を取るための昆布に鰹節、頭をとった煮干しまでありました。「そんなの買うから大丈夫だよ」という私に、母は「すべて一度にそろえるのは大変なんだから。まずは材料を買うことで手いっぱいよ。」と持たせることを譲りませんでした。過保護と言われるかもしれないけれども、それが親心というものなのでしょう。実際、実家にいた頃には、あって当然と思っていたものも、表面的にはピカピカ綺麗な”自分の台所”には何もないことに改めて気づきます。料理一品つくるにも、多くの材料や調味料が必要であることを知り、この1回分の素材たちには大変助けてもらったものです。

料理を楽しむ心とは、人生を楽しむ心に通じます。
今日は何を食べたいのか、それは自分だけでなく、ともに食べる相手の気持ちも汲み想像しながら、真剣に台所という場に向き合い、素材に向き合い、どうしたらもっとおいしくなるだろうかと、食べる人がもっと喜んでくれるかと思いめぐらせながら、創意工夫をして表現をしていく。人生も、いろいろな人と出会い、真剣に向き合い、創造力を思う存分発揮しながら、お互いの笑顔を増やしていったほうが楽しいに違いありません。料理とは、台所とは、生きるうえで大切なさまざまなことを教えてくれるものなのでしょう。だからこそ、桐島さんは、次の時代を生きる私たちが聡明な人になることを願い、本書のタイトルとしたのでしょう。

そうだ、久しぶりに煮干しから出汁をとってお味噌汁をつくってみよう。丁寧に料理をしてみよう。”自分の台所”を自信を持ってつくっていこう。それが人生を大切に歩むということに他ならないのだから…と思い立たせるよう、思いがけず選んだ本書が、私の背中を押してくれる大切な1冊となりました。

(保谷範子)

聡明な女は料理がうまい』アノニマ・スタジオ

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