HOMEへ戻るMCCマガジン『おもてなしの源流 日本の伝統にサービスの本質を探る』

『おもてなしの源流 日本の伝統にサービスの本質を探る』

2014年01月14日

リクルート ワークス編集部; 出版社:英治出版; 発行年月:2007年12月; ISBN:978-4862760333; 本体価格:1,365円
書籍詳細

「お・も・て・な・し」
2020年夏のオリンピック開催地を決める国際オリンピック委員会総会。ここで滝川クリステル氏がスピーチ中に発したこの一言が、きっかけのひとつだろう。
おもてなしの精神や日本文化の素晴らしさを海外に”紹介したい熱”が、あちらこちらで高まっている気がする。
かくいう私も”紹介したい熱”が少々高まりつつある一人だが、ふと思う。「おもてなし」とは何だろう、と。
 
客に礼儀正しく恭しく接すること。客の期待を、言われる前に察して万事整えておくこと。客が気づかないまま終わってしまいそうな細部にまで心を配り、万事を整えること。・・・どれもしっくりこない。
それでは、ホテルが提供しているだろう洗練されたサービスと、どう違うというのだろう。何かが違うような、足りないような気がするが、その原因が掴めない。
そのような時、本書のタイトルが目に入った。


『おもてなしの源流 日本の伝統にサービスの本質を探る』。
伝統芸能の演者や茶道家、工芸職人などを取材して世に紹介してきた千葉望氏と、リクルートワークス編集部(当時)の五嶋正風氏がおもてなしとは何かを原点に立ち返って考えようと、旅館・茶道・花街・きもの・神事などの取材を試み、その根底にある精神を探究している。
本書は、章ごとに各界の一流の人々が登場し、哲学を披露する。旅館の章では湯布院盆地にあるリピート客が絶えない旅館の経営者が、花街の章では島原の太夫が、きものの章では日本橋の呉服屋の若旦那が思いを語ってくれる。もてなす側(主)ともてなされる側(客)の関係、大切にしている信条――その語りにじっくり耳を傾けることをお勧めするが、おもてなしなるものの正体を後ろ姿でもいいからすぐ知りたいのであれば、[はじめに][第二講 茶道][あとがき]をまずは読んでもらいたい。
[はじめに]で筆者らはこう言っている。
『取材を進めるにつれて、日本の「おもてなし」は、もてなす側だけでなく、もてなされる側にも相応の振る舞いを求めるものだと分かってきた。日本伝統の「おもてなし」において、主人と客は「共にその場を創り、楽しむ」関係にある。』(本書9頁)
おもてなしは一方的に客にサービスすることではないという。そういうものか、と思いつつ、それでは客側の相応の振る舞いとはなんだろうか、と新たな疑問がわく。
これについては、[第二講 茶道]の茶事(※)に招かれた客について述べられた段で垣間見ることができる。
『招かれた客は、亭主の意図を汲み、趣向を読み取ることによって茶事を盛り上げ、亭主への感謝を表す。(中略)亭主の心入れを理解しない鈍感な客は「客ぶりが悪い」と嫌われる。茶道では「一期一会」とも「一座建立」ともいう。生涯で一度の、心の通い合う場を主客で作り出す』(本書35頁)
主が一方的にサービスを提供して客はそれを受容するだけ、ではない。主が考えをめぐらせ、細部にまで心を配り、趣向を凝らして作り上げた一生に一度きりの場。だから、客には主の思いを汲んで有り難く受け取れるだけの心意気、欲を言えば教養が必要となる。
金を支払って、その対価としてサービスや品物を得る。それは物品の交換であって、主客の心・思いの交流は必ずしも必要ではない。少なくとも「客ぶりが悪い」とは言われまい。
しかし、おもてなしはそうではないようだ。主の思い・客の思いがあり、それを互いに汲み取って”共に”楽しめる場を作ること。どうも、このあたりが重要であるらしい。
如何だろう。もてなす側ともてなされる側とが共に作り出す「おもてなし」なるものの後ろ姿、あなたには見えてきただろうか。
もし見えてきたなら、いや、むしろ見えなかったなら、[おわりに]に書かれた筆者たちの語りかけに耳を貸してほしい。
『禅の世界に「不立文字(ふりゅうもんじ)」という言葉がある。「大事な事は、文字では書き表せない」という意味だが(中略)「おもてなし」も大事なことは、文字では到底書き表せない』(本書141頁)
――だそうである。
そして筆者らは、茶道、華道、香道、書道など「道」のつく日本のお稽古事をひとつでも始めてみることを勧めている。
おもてなしの大事な核の部分を理解するには、テキスト化された情報を読み、頭の中にイメージを作るだけでは不十分だ。おもてなしとは人と人とが共に作り出すひと時であり、無形の場である。見えざるものをマニュアルや紹介本に余すこと無く写し取るのは難しいだろう。自分を一座建立の世界に放り込み、五感をつかって全身で真剣に”感じる”ことが欠かせないのだ。
そういう訳で、私は「道」のつく稽古事をいくつか開始することにした。そのうちの一つが茶道である。
新年を迎えてすぐ、私は遠州流茶道の先生の初釜(新年初の茶会)にお邪魔した。せっかくの機会だからと思い切ってもぐり込んだものの、稽古をしたことがない私は、当然ながら作法がわからず、交わされる言葉も耳慣れず、緊張のあまり、次第に皆さんの会話が耳に入ってこなくなった。
すると、先生が茶杓をスッと取り出し、銘を説明され始めた。『あぁ、先生がSNSに画像をアップしてらした自作の茶杓だ』――見たことがある物を示されたおかげで僅かに緊張が緩んだ。そして、茶杓とSNSという組み合わせに可笑しさをおぼえ、少しずつ頭が動き出した。
先生は、歌の教養のない私にもわかるように、ユーモアを交えながら歌銘を披露された。先輩方は笑みを溢しながら先生へ問いや感想を述べられ、気づけば茶室には一層穏やかで丸い雰囲気が漂っていた。
不作法な新参者が乱入しても排斥する事なく、さりとて好き放題にはならない、それぞれが穏やかで明るい心持ちで居られる場が作られていく。
この時、”主の思い・客の思いを互いに汲み取って共に場を作る”というおもてなしの一端を覗き見た気がした。
私はまだ各「道」の入口に立ってみただけである。
2020年のオリンピック開催までには自分なりにおもてなしを説明できる…ではなく、おもてなしをできるようになっていたい。これからが楽しみだ。
(柳 美里)
(※)茶事とは客が少数で初座と後座に分けて行われる正式の茶事を指す。(本書33頁より)

おもてなしの源流 日本の伝統にサービスの本質を探る』 リクルート ワークス編集部(英治出版)

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