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私たちは、いかにして人生の終わりに向き合うべきか

2014年08月12日

桑畑 幸博
慶應MCCシニアコンサルタント

[ブラームス:交響曲第2番 ニ長調]
あなたは、ブラームスの交響曲第2番を聞いたことがありますか?
ブラームスの交響曲と言えば、やはり完成まで20年もかけた第1番が有名です。
ティンパニに導かれた重厚な苦悩のメロディから始まり、最後は光溢れる歓喜の渦で幕を閉じる。確かに名曲中の名曲であり、最も演奏機会の多い曲です。(あの「のだめカンタービレ」でもベートーヴェンの7番と並んで重要な曲でしたね)
次いでブラームス自身が「最高傑作」と認めたという、切ない弦からスタートする哀愁溢れる第4番、そして「第3楽章のメロディを聴いたことがない人はいない」とすら言われる、美旋律の第3番。
ですから今回ご紹介する第2番は、残念ながらそれら他の交響曲と比べると、最もマイナーな曲かもしれません。


しかしそれでも、この曲が名曲であるのは確かです。
実際、初演は他の交響曲以上に大成功を収め、今日でも(第1番ほどではありませんが)コンサートでしばしば取り上げられています。
この曲の特徴は、やはりほとんどの解説で語られているように、その「明るく牧歌的な響き」でしょう。
ベートーヴェンの第6番と対比させて「ブラームスの田園交響曲」と呼ばれるように、第1楽章冒頭から暖かな光に包まれた田舎の風景を連想させてくれます。
第4楽章のエンディングも明るく華やか、かつ劇的であり、とても「楽しく聴きやすい」曲です。
しかし、私が今回この曲を取り上げたのは、それが理由ではありません。
この曲は「明るく牧歌的な響き」を多用しながら、その裏で強烈に私たちに『死』を意識させる曲であることを知っていただきたかったからです。
ある意味、私たちに、
「いかにして人生の終わりに向き合うべきか」
それを考えさせるのが、この交響曲第2番なのです。
実はブラームスは、楽譜の出版社への手紙に「この曲の楽譜には黒枠をつけるべきだ」と書いています。
黒枠と言えば、お葬式の遺影。ここからブラームスは、この牧歌的な交響曲に『死』のイメージを抱いていたと言えるでしょう。
調べてみると、いろいろなことが分かってきました。
この曲の冒頭、つまり第1楽章は、まさに牧歌的なメロディをホルンと木管楽器が歌い上げるところから始まります。
しかし、そのメロディの導入部に、チェロとコントラバスが奏でるのは「レ-ド#-シ」という半音下がりの下降音型。これは主に「苦難や悲嘆」を表現する際によく使われる音型だそうです。
実際、ある指揮者からブラームスは、「なぜ冒頭から縁起の悪い音型を使うのだ」と手紙で質問までされています。
また、第2楽章でもこの音型は出てきますが、それを演奏しているのがトロンボーンという点も重要です。
トロンボーンの歴史は古く、教会の合唱でもオルガンを補完する役割を担っていました。また、オルガンが参加することができないお葬式の行進においては、トロンボーンが葬列に参加し、「エクワーレ」と呼ばれる葬送の曲を合奏することも多かったようです。
こうした経緯から、トロンボーンは宗教的な色合いが強く、特に「お葬式の楽器」として当時は広く認識されていました。
ですから当時の作曲家たちは、トロンボーンの使い方には慎重でした。たとえばチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」では、第4楽章の強烈に死をイメージさせる場面で、重く響くトロンボーンが効果的に使われています。
これらの事実を踏まえれば、ベートーヴェン以上に構築美にこだわり、あたかも建築家のようにロジカルに曲を組み立てていくブラームスが、いいかげんに『死』をイメージさせる下降音型やトロンボーンを使うとは考えにくいのです。
いかがでしょう。この曲に対する認識が少し、いや大幅に変わってきたはずです。
では、これを踏まえてこの曲を聴くとどう聞こえるのか、そしてどのような情景がイメージされるのか。
もちろん私自身の解釈であり、多分に妄想(笑)も含みますが、それを解説していきましょう。
 
【第1楽章】
明るいニ長調の3/4拍子。3拍子の曲と言えばワルツを思い浮かべるように、穏やかな雰囲気で曲が始まります。
しかしそれを導くのは先に述べた下降音型。「悲嘆」が背景にあります。
私がここで思い浮かべたのは、余命わずかの病床にある、ひとりの男性です。
第1楽章は、彼の回想、病床で見る夢です。穏やかで牧歌的な調べは、野山を駆け回っていた少年時代の情景で、その後に続く愁いを帯びた旋律や少し激しい短調のメロディは、彼がこれまで立ち向かってきた様々な試練です。
曲は牧歌的な最初の主題が何度も顔を出しながら、つまり夢の中で様々な時間軸を行き来しながら、まるで日が沈むように消えていきます。
【第2楽章】
まるで夢から醒め、病に横たわる自分を思い出したかのように、この楽章は暗い、しかし穏やかな響きで幕が開きます。
夢を描いた第1楽章と異なり、第2楽章からは現実、そしてこの楽章は日常です。
彼は横たわりながらも、窓の外ののどかな風景と、そよぐ風に癒されます。家族か友人がお見舞いに来たかのような、弦と木管の織りなす美しいハーモニーも聞こえてきます。
しかし突然、激しい痛みが彼を襲います。身を切るような短調の旋律が彼の危機を私たちに伝えます。
しかし(医者の手当ても奏功したのか)痛みは引き、また曲は穏やかな流れに戻ります。最後は脈が正常に戻っていくかのようなティンパニの響きで静かに終わります。
【第3楽章】
チェロのピチカートに乗って、オーボエがどこか可愛らしいメロディを奏でる、いたずらっ子が考えを巡らせるような場面で、この楽章はスタートします。
第3楽章は、余命幾ばくもない彼の最後のいたずら、冒険です。
曲はテンポを速め、走り出します。彼は病床を抜け出し、戸外に出たのです。
第1楽章の牧歌的な主題も顔を出すことから、少年時代を過ごした場所に行こうとしているのかもしれません。
曲は彼の歩みと想いに合わせ、テンポやメロディを変えながら進みます。冒頭でオーボエが吹いたメロディをヴァイオリンが受け継ぎ、この冒険は静かに終わります。
【第4楽章】
冒頭、明るいとも暗いとも言えないメロディを弦が弱音で奏で、木管も加わりますが、一瞬消え入りそうになります。
しかしそこから一転、全楽器が高らかに歓喜のメロディを歌います。
第4楽章は、「生きる」ことの素晴らしさ、喜びを歌い上げます。
冒頭から歓喜の歌の爆発までは、彼の迷いと諦めです。しかし彼は気づきました。痛みは消えない、しかし自分は生きている。痛みすらも生きている証なのだと。
とはいえ、曲の途中では彼もめげそうになります。やはり痛みは辛いし、死の恐怖は消せないからです。
しかし無理に痛みを忘れようとしたり、恐怖に打ち勝つ必要は無い。
自分は弱い人間だ。だからそれを認めよう。弱さを受け入れ、それでも最後まで「生きよう」。
曲は徐々に盛り上がり、高らかに「最後まで、力の限り生きる」ことの決意と喜びを歌い、ドラマティックに結ばれます。
・・・
私は昨年、父親を亡くしました。
それ以来、常に「死」を身近に意識しながら生きてきました。
そして最近、以前から知っていたこの曲に、ブラームスが「死」をイメージしていたことを知りました。
そうして自分なりの解釈でこの曲を聴いてみました。場所は東京芸術劇場。読売交響楽団のコンサートでした。
第4楽章では涙が止まらなくなりました。
しかしそれは哀しみの涙ではなく、「悔いが残ろうが残るまいが、最後まで力の限り生きよう」という自身の決意、そして父とブラームスへの感謝の入り交じった、複雑な涙でした。
「生きる」ということ、そして「死ぬ」ということ。
それをこの曲を聴きながら、あなたなりに考えてみませんか?
(桑畑 幸博)

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