今月の1冊
2015年07月14日
No Museum, No Life?
今月7月に行ってみたいミュージアムを一館選べと問われれば、リストのトップには北の丸公園の東京国立近代美術館(以下、東近美)が来る。なにしろ、企画展のタイトルが“No Museum, No Life?”である。副題は“これからの美術館事典”で、36個のキーワードが並列に提示され、国立美術館5館のコレクションにから選ばれた約170点がそれに沿って編集・展示されるという。3ワードを選んで自分の順路を設計してみようと考えたら何になるだろう。私の選択は、“Beholder【観者】”、“Curation【キュレーション】”、“X-ray【エックス線】”になった。
その中でも特に関心があるのが、【観者(かんじゃ)】の展示である。そこではルーヴル美術館で作品を見る人々の姿を捉えたトーマス・シュトゥルートの写真作品が展示されているとある。何を見るのかがミュージアムでの大半の市民の第一の関心事とするなら、私にとっての第二優先はビジターの観察である。誰が誰と何のために来てどのように作品や資料を見ているのか、表情やしぐさから推測できる気持ちは・・・。ひととおりの見学を終わると次は他のビジターをしばし目で追うのが通例である。
さて、もし先月この質問を投げかけられていたとしたら、シュトゥルートが題材にしたルーヴル美術館と答えただろう。毎年800万人以上が訪れる、世界中でもっとも入場者数が多いミュージアムのひとつであり、ビジター研究をするには最適のフィールドになる。
昨年末、バルセロナ在住の建築家・吉村有司さんからこの美術館を舞台にしたビジター動線の研究の論文完成の連絡をもらった。多数の人の動きを調べるために、彼が注目したのはデジタル機器用の近距離無線通信規格Bluetoothである。この電波には機器を識別する情報が含まれている。入館者が携帯しているモバイルの電子機器の中にBluetooth がONになっているものがつねに一定割合ある。研究では、施設内の7か所にBluetoothセンサーを仕掛け、それぞれの検知範囲内への入出データを蓄積した。そのビッグデータを解析すれば、特定の電子機器、すなわちその保有者の動きの軌跡が見えてくる。なお、個人のプライバシーも配慮し、生の識別データは不可逆に変換して記録する工夫も加えられている。館への入場領域での出入りを検知している別のセンサーで計った入場者数と、最終的に絞り込んだBluetoothの検知数との比較によって、Bluetoothの機能がONになっている率は平均で8.2%ということも判明している。データの解析には、米国のMITのラボも関わっており、まさに国際的な研究の成果となっている。
「Art Traffic at the Louvre by MIT SENSEable City Lab」http://senseable.mit.edu/louvre/
年初にSNSでこの研究成果を紹介したところ国内のミュージアム関係者から複数の反響があった。そこで吉村さんに日本に来てもらってこの研究成果を共有してもらえないかと考えた。ついでに、どこかの館が次の研究フィールドとして手を挙げてくれたり、研究資金の調達につながる人脈ができたり、といったことの可能性も期待してのことである。何人かの博物館関係者等と相談した結果、ご協力をいただくことができ、6月6日に連続して吉村さんを講師にした勉強会と講演を実現することができた。
午前の勉強会の会場提供の協力をいただいたのは慶應MCCである。全国から集まってくる参加者に対して、東京駅前というわかりやすい場所を案内することができたことに感謝している。午後の学会の会場も同じ千代田区内だったため、講師・参加者ともに移動が容易となり助かった。パリにでかけてルーヴルのビジターを肉眼観察することは叶わなかったが、東京で3,4桁多い人の動きをITの眼がとらえたデータで理解することができた。
ここでつながった人の縁は、ミュージアムビジターの動線研究の日本での新しい展開にもいくばくか寄与するだろう。“No Museum, No Life?”展でも、もしルーヴルと同じような仕掛けが導入できたら、ビジターが36個のキーワードから何を選んで自分の順路を設計したか定量的に可視化できる。ビジターがどのように組み合わせて順路を編集したのか、企画が個々人の中に生み出したものが分かったら、未来の展示アイデアも膨らんでいかないだろうか。ミュージアムの経営レベルとしてもそのPDCAサイクルのC段階の貴重なインプットにもなるに違いない。
さて、歴史をひもとくと、戦後日本のミュージアムの大前提となるのが昭和26年に制定された博物館法という法律である。博物館には、同法で定義された「登録博物館」とそれに準じた扱いを受ける「博物館相当施設」、そして法の適用外となる「博物館類似施設」がある。文科省の調査によれば日本にはこれらを全て合わせて6千館近くがある。小学校の数がだいたい2万2千校なので、小学校3校に対して博物館が1館あるという按配なのである。そして利用者数は年間で延べ2億7千万人。映画館の入場者数が年間1億6千万なので、一大産業といえる規模感である。法的には美術館も科学系博物館も動物園も水族館もまとめて博物館なのだが、一般的な語感としてはズレがあろう。この駄文では、総称名としてはミュージアムを使うことにしている。とにかく大小はともかく全国津々浦々にミュージアムが開かれ、すくなくとも総体としてはたくさんの人の関心を集めているのである。
「ミュージアムに毎年百回はでかけています。」と自己紹介することがある。「おすすめの博物館があったら教えてください。」という反応が返ってくることは多い。何かしらの正解に近づこうと焦りわずかな知識の中から捻出した館名を羅列していた時期もある。地域を聞き、関心ジャンルをあれこれ探り、求めているのはcomfortゾーンなのか、はたまたストレッチに期待しているのか、までいらぬおせっかいを焼き、その挙句にわずかばかりの記憶リストから無理矢理候補を絞り出す。無駄な抵抗である。展覧会の情報を網羅したウェブサイトもいくつかあり条件指定で簡単に調べはつく。わたしが高性能検索エンジンになれるわけなどないではないか。だいたい、生涯で国内全ミュージアムを訪問制覇することはおそらくあるまい。全情報に基づく最適解などに期待せず、私自身の体験からいえる話だけを一つの事例としてそっと提出するだけでよい。
誰がいつ誰と一緒にどのタイミングでどういう目的でどういう使い方をするのか、という文脈に応じてミュージアムが生み出す価値はまるきり違ってくるだろう。そして、その人生の順路を自分で決められるからこそミュージアムなのである。一つ一つのミュージアムや展覧会との出会いをしっかり味わう機会をまずは私自身が楽しまないといけない。
社会的には、ミュージアムも観光や娯楽を含めたさまざまなメタ文脈に乗っているが、その中でここでは“学び”の文脈に身を寄せてみる。
日本の教育の根幹を定義する法律は教育基本法である。これを基盤として学校教育法と社会教育法が並置されている。そして博物館法は社会教育法を基盤としている。博物館は法的には社会教育施設であり、学校教育とは別の教育チャネルである。学校教育を本に例えるならもちろん“教科書”、動画にたとえるなら“映画”である。特に初等教育ではもろもろのストーリーが決められている。同じ年齢層の集団が同じペースで決められた順番で学ぶ。教科書は順番にこなしていくものであり、先生がペース配分をしてくれる。
それに対してミュージアムは、本なら “辞書”や“事典”、動画なら“Youtube”だろうか。五十音順のような何らかの整理はされているものの、見る作品・資料、見る順番、見る時間、そしてそこから何を学ぶかはビジターに任されている。作品鑑賞はしないでぼっとしているという自由もある。めんどうをみてくれる先生がいる学校に比べれば、ミュージアムは相当にそっけない。自分で楽しみを発見し自らのストーリーを創れる人にとっては冒険ワールド、わくわくするおもちゃの宝庫であり、受け身でいたら無意味ながらくたの倉庫にしか見えない。どんな展覧会でも、順路通りに受け身で進めば最速数分で通り抜けられる。一方、発見が連なり、複数のストーリーアイデアがあふれ出したら閉館時間がうらめしく思えてくる。また来たいと思う。
冒頭にあげた東近美の話に戻ろう。企画展“No Museum, No Life?”の薀蓄は、“ミュージアムならではの楽しみ方”を強調していると感じた。一般的な常設展だと時代や芸術運動名別という文脈の展示が多いだろう。企画展・特別展、たとえば回顧展であれば制作年代順のような文脈が提示されている。本当は鑑賞者は自由なのだが、提示された文脈にアンカリングされてしまうと、既存の順路にばかり目が行ってしまい、自分自身の順路を考えるのがけっこう難しくなる。しかし、本展のような“事典”仕立ては、どのページを選ぶかはビジターの判断だということを知らせてくれるメタファーだろう。もちろん物理的なレイアウトの制約による誘導を消し去ることは無理に違いない。そのあたりの制約との葛藤も私にとっての見どころになる。
ルーヴルの分析結果の概要では、特定のビジター動線パターンが識別されていた。ツアーのグループで時間を区切って入場してくる人、ガイドブック片手に訪れる人がたくさんいるのは間違いないので自然と一定の主流ができるのは無理もない。しかし当然ながら100%ではない。さまざまな傍流動線、個人動線も行きかっている。さまざまな “自分順路”を生み出し続ける場であることが、我々の社会でのミュージアムの価値なのだろう。
ミュージアムの業界には、約3万人の博物館専門家からなるICOM(International Council of Museums、国際博物館会議)という組織がある。3年ごとに大会が行われ、次回2016年はイタリアのミラノで開催され、テーマは、“Museums and Cultural Landscapes” である。そして先月、その次の2019年、東京オリンピック前年の第25回大会の開催地が京都に決った。こちらのテーマは、”Museums as Cultural Hubs: The Future of Tradition”である。いずれも、ミュージアムの未来像を議論する中で、社会の中でミュージアムをどう位置づけるのかという観点である。日本に限らず多くの国々でミュージアムを維持し続けるためには財政的な問題などの課題が山積している。社会的に価値のある実体として生き残るには、自らの再定義、再構成も必要になるだろう。ミュージアムと人とのひとつひとつの接点をしっかり観察し、価値の可能性を発見し育てていくことは、大きな話の礎になる。そして2019年には「博物館行き」ということばの意味も反転しているに違いない。
(本間 浩一)
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