KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

2015年12月08日

ミュージアムカスケード 松下政経塾~大阪企業家ミュージアムまで

4月:「松下政経塾」を訪ねる。
5月:『リーダーを志す君へ 松下政経塾塾長講和録』を読む。
11月:「パナソニックミュージアム 松下幸之助歴史館」「常翔歴史館」「大阪企業家ミュージアム」を訪ねる。

たまたま通りかかって博物館や展覧会を見学することがある。縁や紹介が連なって訪ねることもある。その知見や情動を一つ星のまま意識・無意識に吸収していく。いくつかの星が星座、星団、星雲のかたちとなってそれを楽しむこともできる。
今年私が体験した星の固まりをひとつ紹介したい。人との出会いから始まり連なって博物館を訪れることになった体験である。

4月:松下政経塾を訪ねる

4月、松下政経塾を訪問することになった。2年前に塾のご出身者とご縁ができ、そのつながりが何段階かカスケードして、私の活動のひとつ“自分史”との接点が発見され、そのご縁で伺うことになった。JR茅ヶ崎駅からタクシーに乗って塾に向かうと、約束の時間よりもかなり早く到着してしまった。

これは、少し歩き回って土地の空気を五感で吸収する機会に違いない。
塾の敷地のまわりをぐるりと背後に回り込むと、湘南特有のからりとした微風の先、横一列の砂防林が湘南海岸の位置を教えてくれた。塾生が語り合いながら散策し、あるいは体を鍛えるために走る風景。

一周の散歩を終え、入り口に戻り塾のシンボル「アーチ門」にむかって進んでいくと、彫刻家・加藤昭男氏作のレリーフ「明日の太陽」の陰影がはっきりとしてきた。左に「力と正義」を表すひまわりを手にする男性像、右に「愛と平和」を表す鳩と女性像、その下に「困難」を表す雲。アーチの下で塾生が出迎えてくれた。

今回の面会先は、古山和宏塾頭。政経塾の第3期生である。本日の主題の話を始める前に、まずは塾内を案内していただく。階段を上って会議室のドアを開けると、4名の第35期生が議論しているところだった。毎年たくさんの応募の中からまさに何重にも選りすぐられて残った方々である。ネクタイとスーツ着用で終日議論を続けてきているというのに、疲れも乱れも感じさせない。そして塾内では、どこで人に会ってもしっかりと挨拶をされる。普段の自分の振る舞いはもっとぞんざいではないかと意識させられる。庭も拝見し、「松心庵」でお茶も点てていただいた。基本的な作法くらいは身に着けておけば、少なからぬ企業家が茶に傾注していく意味の一端を体感できるのではないかと、また気づく。

明治27年生まれ、パナソニックグループの創業者である松下幸之助氏が私財70億円を投じてこの塾を設立し、理事長兼塾長に就いたのは1979年、84歳のときである。初めのころは自ら講義もされていたと聞く。そして、第1期生からは総理大臣が生まれるまでとなった。
松下政経塾という企てとは何か。この塾の出身者の個々の活動の成否に絡んで発生するさまざまなニュースが私の眼や耳を覆う雑音や曇りとなり、膜を張っていたかもしれない。一度しっかりと拭って、オリジナルの色かたちを観察してみようと思う。

5月:『リーダーを志す君へ』を読む

今度は別方向の縁がつながった。4月の訪問時に古山塾頭が慶應義塾の出身であることがわかり、私塾として始まった慶應義塾と松下政経塾の時代を超えたつながりの可能性に気づいたのである。

慶應義塾では、創立150年の記念事業として慶應義塾福澤諭吉記念文明塾を7年前に立ち上げた。現在私はその手伝いもしているが、その講師として先輩私塾の古山塾頭をお招きすることを思いついた。松下幸之助氏が慶應義塾大学名誉博士の称号を授与された5名の日本人のお一人であることも偶然とは思えなくなっていた。もともと必然だった流れが、私のほうが気付くのを待っていたのかもしれない。

ご出講の際、具体的にどんな内容にしていただくかを相談しに再度茅ヶ崎に伺った。
文明塾生に読んでおいてほしい、と古山さんから事前課題として『リーダーを志す君へ 松下政経塾塾長講和録』(松下幸之助、PHP文庫)をご指定いただいた。早速私もその小さな文庫本を入手し読んだ。

成功し名経営者と呼ばれるようになった方にも、当然ながらその数十年前には先のわからぬ十代があり二十代があった。松下氏は、父の破産で小学校を中退し、9歳で和歌山から大阪に奉公に出た。十代から様々な経験と決断を重ね、二十代で独立する。有名な経営者としてこれまで断片的にしか知らなかった氏の生い立ちを、一人の人生として自分事に置き換えながら読み進めていく。最近、慶應MCCのラーニングイノベーション論に登壇された講師の一人から教えてもらった「決断経験値を上げることが成長につながる」という考え方も自ずと関係づけがされてくる。

そして、本の後半では、政経塾内で実際に交わされた塾長と塾生の対話が書き下されていく。飾りのない、人と人とのやりとりは、体感した塾内の雰囲気を思い浮かべてもなるほど自然だ。塾生の質問に対し、松下氏はご自身の経験に基づいて素直にひらたいことばでお話をつないでいく。襷を次の世代に渡すように。
6月、その襷を受けとった一人・古山さんを囲んで、三田キャンパスで対話と議論の時間をもつことができた。

11月:大阪の博物館を訪ねる

11月、全く別の縁で仕事関係も撚り合わさって大阪市旭区にある常翔歴史館(大阪市旭区)という学校博物館の見学に伺うことになった。常翔学園は大阪工業大学・摂南大学などを経営する学校法人である。

出張の数日前、パナソニックミュージアム松下幸之助歴史館(門真市)で開催中の企画展「経営理念の実践と人づくり 創業者松下幸之助と理念の伝道師・高橋荒太郎元会長」の記事が眼に留まった。地図で確認すると、同じ方面である。しかもその日は多くのミュージアムが定休日の月曜日。この二館に連続していけるのは何かの導きとしか思えなくなっていた。

最初に向かったのは京阪電車 西三荘駅からすぐの「松下幸之助歴史館」。
常設展示の時系列展示ゾーンは、小学校中退から晩年にいたるまで時間順に進んでいく。まとまりごとに数分程度の音声再生も準備されている。本で読んだ生い立ちをなぞるように、一人の少年が成長し二十代で創業するまでの青春を追っていくと、その背景となった大阪の空気感も感じとれてくる。一人の天才がすべて独力で成功をおさめていくという話ではない。いろいろな人が絡み合いながら、物語が進んでいく。

この手の企業・経営者をテーマにした博物館では、観客は自分一人、ということが珍しくないので、そのつもりで門に入ると一台の大型バスが駐車していた。どうやら観光ではなくて仕事絡みの中国人の団体と思われる。館内では、同行のガイドがひとつひとつ展示説明を加えていた。見学者たちは解説に耳を傾けながら、食い入るように展示物を見学している。映像図書館には何台もの映像視聴端末がおかれていたが満員状態だった。松下精神が海の向こうに継承されているさまを間の前で目撃した。

京阪電車で守口市駅に一駅戻り、タクシーで大阪工業大学へ向かう。道路に面してガラス張りになった実習室では、老教授と学生が輪になって講義していた。製作中の拵えものがそれを取り囲んでいる。仕事の打ち合わせのあと、常翔歴史館で「学園を創ってきたひと」の展示を見学。東京で知り合ったご担当者に案内をしていただいた。
工業教育の必要性を唱え続けた初代校長・片岡安博士は、明治時代の建築界の重鎮・辰野金吾と共に辰野片岡建築事務所を開設した建築家。その後、第13代の大阪商工会議所会頭をつとめた。

翌日は朝から大阪企業家ミュージアムへ。地下鉄堺筋線・堺筋本町駅から徒歩5分だ。あわせて百人以上の企業家の業績が星のごとく展示されている。松下幸之助も片岡安もそれぞれに光を放っている。オーディオガイドを聴きながら、一人一人の説明文を目で追っていくと案外大阪出身者は少ないとことに気づく。松下氏、片岡博士も和歌山と金沢出身である。経済の中心地としての引力が、全国から企業家の卵を引き寄せたのこの時代、大阪は半学半教の大きな私塾だったのかもしれない。

紡績、商社、金融、鉄道、建築、製薬、家電、重工業、興行、小売、新聞・・・ジャンル別分類を見ていくと、新しく出現したマーケットで競争と協力をしながら切磋琢磨しあった複数の成功者が並ぶ。その中には、福澤諭吉門下と書き添えられた企業家も何人か混じる。そもそも、福澤先生が生まれた中津藩蔵屋敷、緒方洪庵のもとで学んだ適塾は、ここ大阪である。そして戦後になると、その分野のオンリーワンと呼べるような企業も出現してくる。すでに江戸時代から米経済の中心だった大阪が、近代に入ってさらに多種多様な産業創出の起点としてバージョンアップできたのは、集積に構造を与えるあらたな仕組みづくりが早期になされたからなのだろう。

特別展示ではその立役者の一人を扱っていた。「没後130年企画 大阪の恩人・五代友厚」。
福澤先生とは一歳違いの同時代人である。出版、金銀分析所、造幣寮、精藍事業、米の取引所、大阪商法会議所、証券取引所、学校・・・と多種多様な事業の立上げに尽力した人物である。“東の渋沢、西の五代”と並び称されたとある。渋沢栄一は埼玉出身、五代は鹿児島出身。
3つの博物館を巡るうちに、私の脳内の企業家ネットワークにもまたいくつかのノードが加わった。特に辰野金吾と渋沢栄一には新たなリンクが張られた。

大阪からの帰り、辰野が設計した京都文化博物館・別館(旧日本銀行京都支店)にも立ち寄った。年明けには、東京都北区の渋沢史料館も再訪しようと思う。また、今回は予備調査的駆け足見学だったので、2度目は他の経済人との接点を意識して再発見に期待したい。
 
(本間 浩一)

関連サイト

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