HOMEへ戻るMCCマガジン『東大落城 安田講堂攻防七十二時間』

『東大落城 安田講堂攻防七十二時間』

2004年08月03日

著者:David Bouchier
出版社:文藝春秋(文春文庫) ; &nbspISBN:416756002X ; (1996/01)
本体価格:540円(税込); ページ数:332p
http://item.rakuten.co.jp/book/776848/


「危機管理」も「組織マネジメント」も、その重要性は誰もが認めていて、研究書も広く読まれているのに、実際に上手く活用されている例を多く聞かない。大層なリスクマネジメントマニュアルも、社長自らによる組織活性化の訓示も、現場で日常業務の中に混ざると、その精神が薄まってしまうものなのか?そもそも、本質的に見つめ直さないといけない何かがあるのではないか?
「東大落城 安田講堂攻防七十二時間」は、この問いについて改めて考えさせてくれる。この著作では、警察の機動隊という組織で実践されている「危機管理」と「組織マネジメント」を垣間見ることができる。それは、絨毯の敷かれた冷房装置付の重役室から配給される御下賜品としての「危機管理」や「組織マネジメント」ではない。頭上から火炎瓶や硫酸が降って来る学園紛争の現場から身を張って生中継される、血判の押された哲学としての「危機管理」と「組織マネジメント」である。
著者の佐々淳行氏は、警察庁(当時国家地方警察本部)に入庁後、東大安田講堂事件、連合赤軍あさま山荘事件、よど号・ドバイ・シンガポール事件などの歴史的難事件の処理を指揮し、初代内閣安全保障室長に就任した人物であり、「危機管理」という言葉の産みの親としても知られている。本著は、著者が東大安田講堂事件に際して機動隊を指揮した際の72時間に及ぶ攻防の模様を、著者の「危機管理」や「組織マネジメント」についての意見を交えつつ綴られた実話である。従って、ここで述べられる事例はフィクションではなく、ここで語られる「危機管理」や「組織マネジメント」は机上の理論ではない。
実際、警察機動隊の業務は、本著で「命をカンナで削る日々」と例えられるほど、常に身の危険と隣り合わせの仕事である。大人数の組織を一丸にまとめて、常に組織の士気を保たなければ、市民や隊員の命にかかわってくる。では、この組織の中では、どのように危機管理や組織マネジメントの思想が徹底されているのだろうか。
かつての機動隊は、「突撃しか能がない」と警察内部からも評され、隊員の被災率が高かった。ヨーロッパで近代警察の安全確実な警備方法を学んだ著者は、早速それを実践しようとする。その詳細は本著に紹介されているが、隊員の反応は意外なものだった。例えば、武装集団との対峙では、わざと撤退を装い、追撃して来たところを左右から挟撃する安全検挙を提案するが、武勇を重んじる隊員たちから「敵に背中を見せることはできない」、「機動隊の名折れだ」と反対されてしまう。
「危機管理」や「組織マネジメント」を喧伝するマニュアルも訓示も、指導要領も通達も、それが「お上からのお達し」に聞こえることがある。現場を知らないお偉いさんが、尻で椅子を磨きながら創作したシュミレーションゲームに見えることがある。機動隊員たちには、キャリア組の著者の説法も、最初は無責任な机上理論にしか聞こえなかったのだろう。
だが著者は、徐々に隊員たちから信頼を勝ち得てゆく。それは提案する戦法の実績による部分も大きいが、他に看過ごしえな要因として、「危機管理」や「組織マネジメント」についての著者の哲学による部分も大きい。著者は「ゲマインシャフト」的な日本の組織では、「同じ釜の飯を喰う」ことこそ人心掌握の基本であると言い切るのである。「ゲマインシャフト」とは、社会学者フェルディナンド・テンニースが唱えた集団分類で、家族のように自然発生的で、成員が生活面で密接に関わり合いを持っている集団を指す。対概念として、利害や契約関係による結びつきは「ゲゼルシャフト」と分類されている。
著者は隊員たちと時間を共にし、「ゲマインシャフト」的関係の構築に努め、「お上からのお達し」ではない「危機管理」と「組織マネジメント」を浸透させてゆく。
ところで、著者のいう「ゲマインシャフト」的関係とは、単に「同じ釜の飯を喰う」ことだけなのだろうか?なぜ、「危機管理」も「組織マネジメント」も、その重要性は誰よりも心得ていて、研究書もたっぷり読んで、もちろん「ゲマインシャフト」的関係の実効も熟知しているはずの21世紀の現代人の組織においてなお、その論に「お上のお達し」の影がつきまとうのだろうか。
絨毯の敷かれた冷房装置付の部屋から「危機管理」や「組織マネジメント」が喧伝されるとき、そこからはある恐怖の臭いがする。それは、クレームに対する恐怖であり、責任を取らされることへの恐怖であり、社会的に傷つくことへの恐怖である。「底辺」の人間ほど、その臭いに敏感である。著者は、「肉体的に傷つくこと」が隊員の仕事であるならば、「社会的に傷つくこと」が上司の仕事である、とも言っている。テンニースによれば集団は近代化に伴い「ゲマインシャフト」から「ゲゼルシャフト」へシフトするものだそうであるが、昭和が葬送された後も、本著が「お上のお達し」にならない理由は、著者のリーダーとしてのその精神、思想にあるのかもしれない。
(大沢 守)

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