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井上 靖『孔子』

2019年05月14日

孔子
著:井上 靖 ; 出版社:新潮社(新潮文庫) ; 発行年月:1995年11月; 本体価格:810円

それは数十年振りの邂逅であった。
この冬に井上靖の『猟銃』を読んだ。井上が初めて書いた小説である。戦前・戦後の14年間を新聞記者として過ごした井上靖は、この短編が認められ、続いて発表した『闘牛』で芥川賞を受賞した。

私と井上靖との出会いは、高校時代に遡る。
『蒼き狼』『天平の甍』『おろしゃ国酔夢譚』等々、ある一時期に、井上の一連の歴史小説を夢中になって読んだ。いずれも井上全盛期の作品である。

初期の短編と全盛期の歴史小説は、作風こそ異なるが通底するモチーフがある。理性や論理を越えて、内面から沸き起こる熱情のようなものに身を任せる人間を描いているところだ。内なる自分の衝動的な力、理性を凌駕して人間を突き動かす情動力のようなものが、実は歴史を作りだしてきたことを大河ドラマのような壮大さで訴えかけている。

井上靖の最後の長編が『孔子』である。平成元年9月刊行。その一年後に井上は八十三歳で亡くなっている。
内面から沸き起こる熱情を書いてきた井上が、人生の最後に取り上げた孔子もまた熱情の人であった。そして不遇の人でもあった。低い身分に生まれ、長い歳月を亡命・流浪に費やした。後世の名声とは裏腹に、恵まれた人生ではなかった。
井上靖の『孔子』は、小説としては失敗作かもしれない。つかみどころがない。しかし、井上と孔子の人生の到達点が重層低音のように響き合う不思議な作品である。

主人公は孔子の弟子蔫薑(えんきょう)である。架空の人物を設定している。
この本は、孔子の伝記小説ではない。孔子の生涯を核にした歴史小説でもない。論語の注釈書でもない。言うならば、蔫薑という架空人物を通して、井上靖が迫ろうとした人間・孔子像である。

物語は大きく三部で構成される。最初は、蔫薑と孔子の出会いから孔子が没するまでの十数年間の回顧録。中盤は、孔子が亡くなって三十数年後、山中に隠棲する蔫薑を孔子研究会と称する若い一団が訪ね、問答を重ねる場面。最後は、蔫薑が孔子と共に流浪した故地を再訪する旅である。

個人的には、二つの読みどころがあるように思う。
ひとつめは、孔子研究会の人々と蔫薑との問答場面である。死後三十年を経て、孔子の名声は高まり、各地に孔子の逸話を蒐集し、教えの全体像を研究しようという機運が高まる。すでに直接孔子の謦咳に接した弟子達は、蔫薑を含めごく少数になっていた。孔子研究会は、彼等を訪ね歩き、孔子の人柄や残された言葉の意味をまとめようとする一団であった。

読者は、この状況設定が、論語とよく似ていることに気づく。孔子に師事する子路、顔回、子貢といった弟子達が、孔子に問いを投げかける。それに対する返答が「子曰く・・・」という初句とともに繰り返されていくのが論語という書物である。
同じような問答が蔫薑と孔子研究会の面々との間に繰り返される。それはあたかも、論語の成立過程を垣間見るかのようだ。論語はこうやって編纂されたのではないか、という井上の仮説が反映している状況設定だと思う。

「子を囲んでの学問的談合は夜間に開かれていたと聞きますが、どのようなものだったのでしょうか」

ひとりの若者の問いに対して、蔫薑は、論語の章句を挙げながら説明する。

-北辰、その所に居て、衆星、これを廻る-

北方の夜空に輝く不動の北極星。それは孔子である。弟子達は、北極星のまわりを廻る星のようなものであった。生のある限り子の教えのまわりを廻らねばならない。その教えを、国のすみずみまで行き亘らせねばならない。

孔子と弟子達の関係、それは論語とそれを読む後世の読者との関係でもある。
論語は、比較的分かり易い古典で、表面的な意味はすぐに理解できる。それが、論語が数多くの人々に読まれてきた理由でもあるが、一方で、アンチ論語派を産み出す要因でもあった。分かり易いゆえの説教臭さを嫌う人が多いのも事実である。

しかし、論語を何度か読むと、堅固な巖塊に行く手を阻まれることがある。その巌塊は、安易な理解を頑としてはねつける強度と熱を帯びている。
読者は、巌塊が発する強い磁力に引かれて論語に近づき、何度もはねつけられ、周囲を廻り続けながら一体化する。
儒家思想が持つ、時間的、空間的な広がりの特徴を象徴的に描写した箇所だと思う。

ふたつめの読みどころは、井上靖が迫ろうとした論語の思想的な根源である。そこには巌塊が輝き放つ重層的な複雑さがある。

論語は、「天命」と「仁」のふたつの概念に集約される。
孔子の人生が体現した「天命」とは何か。生涯の使命として説いた「仁」の訓えとは何か。
論語の根本は、そこにある、と井上は考えた。

「天命」とは、天からの使命感によって支えられた己の進むべき一本の道。
「仁」とは、人間が幸せに生きていくための人間の人間に対する考え方、まごころ。
論語を読めば、この二つが論語の根本であることは素直に共感できる。しかし井上は、一歩進んで堅固な巌塊に迫ろうとする。

まずは「天命」論である。

-三十にして立ち、 四十にして惑わず、 五十にして天命を知る-

なぜ、天命を知ることが、立つ、惑わずよりも後にあるのか。己の道を知ったからこそ、立つ、惑わずになるのではないか。
井上は、常識的「天命」論と併せて、この章句を挙げる。

-死生、命あり、富貴、天に在り-

いくら使命感を感じようと、いかに信じて努力しようと、成否は別問題である。成功するかもしれないし、しないかもしれない。すべては天の裁きに任せる他はない。厳然としてあるその真実を受け止めたうえで、尚かつ、己が信じた道を全力で生きること、それが「天命」を知ることである。
天命を知るべき齢となって久しい私にとって、ピンと背筋を伸ばしたくなる指摘である。

では、「仁」はどうか。
仁という字は、人偏に“二”と書く。ふたりの人間が互いに守らねばならない規約、相手の立場に立って考える姿勢、おもいやり。これが辞書的な「仁」の定義である。
社会は、人間によって構成されるのだから、人間関係の基本としての「仁」が必要なのは当然であろう。また、「仁」の実践は、言葉でいうほど簡単ではないことも分かる。しかしながら、これではあまりに軽くないだろうか。孔子は論語で「仁」を説いた、と称されるほどの重量感が伝わらない。
井上は、この疑問に対して、蔫薑に次のように語らしている。

「子がお説きになる“仁”なるものには、大きな“仁”と小さな“仁”のふたつがあったのではないかと思います・・・」

先述の辞書的な定義は「小さな仁」である。私たち市井に生きる人間が、相手を思いやり、相手の立場に立ってものを考えることで、社会の秩序は保たれていく。
一方で、時代を動かす立場にある責任ある人には、併せて「大きな仁」が求められる。

-子曰く、志士、仁人は、生を求めて、以て仁を害することなし。身を殺して、以て仁を成すことなし有り-

「仁」を完成させるためには、必要とあらば、生命を棄てる覚悟で挑まねばならない。それほどまでに重い。その重さにこそ、「大きな仁」の本質がある。自らの地位や責任に比例して、担うべき「仁」も重くなるのだ。
戦前の国家は、庶民に「仁」的忍耐、「仁」的共同体化を強制した。自民党の憲法改正草案でも、「仁」的世界観が、国民の義務として謳われている。
政治家や官僚は「仁」を説く重みをどこまで認識しているのかが気にかかるところである。忖度すべきは、権力者に対してではなく、「小さな仁」を精一杯生きている人々に対してであるはずだ。

この本の最後は、蔫薑が孔子と過ごした負函という地を再訪した際に確信した静謐な思いでしめくくられている。井上靖が到達した孔子が理想とした徳治社会の理解である。

「人間、この世に生まれて来たからには、故里に灯火が入るのを見て、ああ、いま、わが故里には燈火が入りつつある、という静かな、何ものにも替え難い、大きな安らぎを伴った思いがあります。この思いだけは、終生、自分のものとしておきたいものであります。いかなる政治でも、権力でも、人間から、このぎりぎりの望みを奪り上げる権利はないと思います。」

孔子が世を去って、2500年余り。70億を越えた世界人口のうち、「ぎりぎりの望み」を享受している国は、日本を含めてわずかしかいない。
厳然として存在するその現実を受け止めたうえで、なお己が信じた道を全力で生きる。
それが私たちに課せられた「天命」である。

(城取一成)

孔子』新潮社(新潮文庫)

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