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今月の1冊

2020年02月11日

千 宗屋『茶のある暮らし―千宗屋のインスタ歳時記』

茶のある暮らしー千宗屋のインスタ歳時記
著:千 宗屋 ; 出版社:講談社 ; 発行年月:2018年11月; 本体価格:2,700円税抜

茶の湯の名匠が綴る、美しい日本の歳時記。
著者の千宗屋さんは、千利休に始まる三千家のひとつ、武者小路千家の次期家元。その審美眼と感性から、“現代の利休”とも評される方。そんな宗屋さんが、インスタに発信してきた写真とコメントが編集され、見事な一冊にまとめられている。

出版から一年。季節がひとめぐり。新年、立春をふたたび迎え、花の香りや陽射しに春を見つけるのが楽しいこのごろ。そんないまだからこそより楽しい。より心に響いてくる。

茶席の花やお菓子、お茶碗、季節の行事に、日常の一服、折々訪ねた旅先の風景、そこでの出会いやそこでの一服などが綴られている。美しいたくさんの写真と、すくないが研ぎ澄まされた言葉。本に再編集されてなお、インスタの魅力がいきていて、紙ゆえのめくり、眺め、掌にうける喜びがある。

インスタは見せることを前提としているから日記のたぐいとは異なるのだろうが、そこには、ある一人の日常がゆるやかに流れている。特別な家と特殊な職業ではあるけれど、伝わってくるのは個人の視線、姿、思い、言葉、息づかい。伝統を継ぎ、いまを生きる、宗屋さんその人なのである。

そして、日本の四季の美しさ、豊かさ、楽しさがあざやかに見えてくる。
日本の文化、風習、日々の暮らしは、四季の中にある。憧れ、共感し、親しみを感じながら読みすすむうちに、私も、そのなかで暮らす一人、と気づき、嬉しくなる。

その思いに応えるように、ところどころにコラムが挟まれている。タイトルを拾えば

  • 大福茶 -新年の一服
  • 茶碗 -茶の湯における“花形”
  • 茶と仏教 -中国~比叡山~堺を経て
  • 歳暮の茶事 -過ぎゆく年を振り返る

などなど。いずれも易しく、わかりやすい。

さて、2月をめくってみよう。

#節分
明治14年より使っている豆升。「節分の夜これを用う 官休」
#一指斎筆 #江戸土産 #1881年 #豆まき

豆升の写真1枚、一行のコメントに、ハッシュタグ。これだけ。

しかし、これだけから、たくさんのことが伝わってくる、わかる、思いがめぐる。
お家元も私たちと同じように豆まきするのね、明治のお家元も豆まきされたのね、親しみがわく。
一指斎は武者小路千家11代一叟宗守(いっそうそうしゅ)のこと。興味がわき名前で引くと、嘉永、安政、明治の年間を生きた方とわかる。京都の半分を焼きつくした嘉永年間の大火に見舞われ、そののち明治維新前後の混乱期をくぐったのであるから苦労がうかがえる。1881年(明治14年)は、茶室や庭の一部を再建し、復興した年。歴史に思いをめぐらせ、心から無事を願う、節分らしい一枚。

もうすこしすすむと見開き2ページいっぱいに、おいしそうな、かわいい和菓子がそそる。

#二月のお菓子
葉が青々と美しい椿餅。#最古の餅菓子ともいわれる #川口屋
春の訪れを感じるふきのとうのお菓子。#赤坂塩野製 #黄身あん #黒田泰蔵
節分に忘れてはいけない「法螺貝餅」。#節分限り #聖護院 #柏谷光貞

季節の花、季節のお菓子がよくわかる。
なんて、きれいなお菓子。法螺貝餅というのがあるのね。お菓子との出会いはいつでも楽しい。
黒田泰蔵は現代を代表する陶芸家のお一人。その方の作品の菓子皿を使っている、とわかる。お菓子は器との組合せによって、さらにいきいきとする。写真の撮り方、光の用い方も絶妙。宗屋さんの審美眼と、研究と探究心で培われた教養が、インスタの一枚一枚ににじみでていて、いろいろな意味で勉強になる。。
 
ところで、そもそも、なぜ宗屋さんはインスタを始めたか。
茶の湯は伝統の象徴的存在、SNSとはむしろ相反する、矛盾する存在ではなかろうか。

茶の湯の家の方ってどんな暮らしをしているの?
私たちはおそらく誰もにそんな関心と好奇心がある。宗屋さんもたびたび聞かれるそうである。

茶の湯の家に生まれ育ちそれを日々の生業としているという実態は、ご縁の無い多くの方々にはなかなか想像、理解しがたものがあると思います。よく初対面の方から「どうやって暮らしているの?」とか、「毎日着物を着て正座して、朝晩懐石料理を食べているんでしょう?」と、得体の知れない対象として質問される事も一再ではありません。

なるほど。そこで、あれこれ説明するより、インスタで紹介し、それを見てもらえばわかってもらえて便利。案外軽い気持ちであったようである。始めてみると、心通う人との出会いや再会、交わりがあり、広がる可能性を楽しまれている様子。

では、伝統の茶の湯と、デジタルでオープンなSNS、これについてはどう捉えているのだろう。宗屋さんはこの問いにこう答えてくれている。

進化したテクノロジーはあくまで道具、いたずらにそこに拘わるより、その先にある手応えのある未来にこそ本当の意味があると思います。可能性がどんどん広がっていく現代、デジタルな出会いや交わりも、そこに心があれば決して捨てたものではありません。デジタルを駆使しアナログな楽しみに還元していくことは、現代における伝統の生きるひとつのかたちであると自覚しています。その成果の一端が、このお手に取って頂いた小著でもあるのです。

そうか、と、はっとした。
「伝統」とは「伝燈」ではないか、と思い出す。以前宗屋さんの講義で伺ったことがある。

「伝統」という言葉の語源は「伝燈」である。燈火、燈明のことで、仏教からきている。その象徴が比叡山延暦寺にある「不滅の法燈」、約1200年もの間、守り伝えられている燈火である。
この燈火を絶やさないために必要なのは油を注ぎ続けること。守り、継いでいくためにこそ、新しさが欠かせないのである。最も古いものこそが常に最も新しいものである。
宗屋さんの日々の暮らしには伝統がある、のである。

さいごに、この「インスタ歳時記」には幸せな後日談がある。
宗屋さんは昨夏ご成婚されたばかり。2人を結んだのもこのインスタだったそうである。ある日、「いいね」を押してくれる中に、数年前に面識ある見覚えのある名前を見つけた宗屋さん。お互いのインスタ投稿から神社仏閣の通好みな共通趣味がわかる。再会すると距離は一気に縮まり、つきあい始めて半年でプロポーズ。おめでとうございます。
婚礼やお祝いの茶会、奥さまとの新生活の様子もインスタで拝見、幸せをおすそ分けいただいている。ありがとうございます。これからも、宗屋さんの感性と審美眼で綴られ続けるだろう茶のある暮らし、歳時記が心から楽しみである。

(湯川真理)

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