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『新訂 日暮硯』

2005年02月08日

新訂 日暮硯
著:不明 校注:笠谷和比古 ; 出版社:岩波書店 ; 発行年月:1988年4月; 本体価格:560円税抜

信州松代駅から徒歩5分。真田公園の一角に、「日暮硯」の主人公である恩田木工民親(1717年-1762年)の銅像が建っている。
故池波正太郎氏が初めて書いた時代小説「恩田木工」(大衆文学:昭和31年)が第36回直木賞の候補作品になったことで、その名は幅広く巷間に知れ渡り、同時に彼の事績を記した本書も、改めて脚光を浴びた。

その歴史は江戸時代に遡る。
1757年信州松代藩真田10万石の末席家老であった恩田木工は、破綻寸前の藩財政の建て直しを命ぜられ、志半ばで世を去りながらも、財政安定のための基盤を築き上げた。本書はその改革の経緯を記した、作者不明の説話である。

正式刊行は明治41年であるが、江戸時代から脈々と読み継がれ、二宮尊徳を始めとした篤志家、政治家、起業家のバイブルとして名高い。
では、手元にある「新訂日暮硯」を早速開いてみよう。

『古語に曰く、「一代の君有らば、又一代の臣下有り」と。』

いきなりの古文である。脚注が下段にあり、高校時代の教科書を彷彿とさせる。
受験戦争世代の悲しい性で、行間に現代訳を書き込みながら読み進んでいると、半分もいかないあたりで唐突に本編が終わってしまった。
まだ67頁。改革に向けての具体的な方法論の後に、幾つかの挿話が続き、面白くなってきた矢先での不意打ちである。
呆気にとられること暫し、気を取り直してもう一度読み返してみることにした。

本編には、校訂をした笠谷氏による9つの小見出しがついており、全体のアウトラインが掴めるようになっている。これを読むだけでも流れがイメージできると思われるので、以下に順を追って記しておく。

  1. 真田伊豆守の英知
  2. 勘略奉行就任
  3. 家内一門の引き締め
  4. 真田家中への申渡し
  5. 領民との対話
  6. 領民の安堵
  7. 家中諸芸出精
  8. 冗費減少、家内への慈愛
  9. 制せずして博奕停止

如何であろう。具体的な内容について興味が湧いてきたのではなかろうか。読者諸氏の好奇心を満足させること、請け合いである。

木工の行動の規範となったのは、『向後虚言を一切申さざる合点に侯』(本書30頁)つまり、「今後、嘘を一切言わない」という言葉である。俸禄未払いに対する抗議のために城に押しかけた多くの藩士や、圧政に苦しみ遂に一揆を起こした領民達の人心は、虚言続きの藩からすっかり離反していた。彼は、顕在化している現象の、潜在的な本質課題をおさえるために、人の「心」に楔を打ち込んだのである。

「嘘をつかない」という宣言は、「言ったことは必ず守る」という意味合いで領内に伝播していき、疑心暗鬼だった人々に安心感と信頼感を与えていった。木工が「有言実行型のリーダー」と賞される所以である。

彼がやってきた事は、現代の「企業再生」にそのまま活かされている。
2004年10月に行われた日経フォーラム世界経営者会議において、日本電産株式会社の永守重信社長は次のように語っていた。

  • 企業再生をする時は赤字事業のリストラといった西洋療法でなく、副作用の少ない漢方療法を用いる。
  • 社員の心が病んでいると企業が病む。
  • 経営者が社員の心を掴んでいなかったり、実行力がなかったりすると、社員が病んでいく。社員の心を掴み、社員の心を変えるのはトップの仕事だ。
  • こちらから頼んで、当たり前のことをやってもらうだけで会社は良くなる。
  • 社員の心が変われば、何年先もどんどん会社は良くなっていく。

ぜひ、上記の言葉を参照しながら本書を読んでいただきたい。時代を超えた類似性に、きっと驚かれることであろう。2004年4月の時点で17刷。研修教材としても活用されている「日暮硯」は、風土改革を実行していく際のポイントのみならず、自律という言葉の意味を再度問い直すきっかけを与えてくれる名著であった。電車の中でお気軽にというわけにはいかないが、古からのメッセージを自分なりに咀嚼する時間は、思ったより有意義かつ楽しいものであったことをお伝えしておく。

<補足1>
恩田木工その人に興味を持たれた方には、池波正太郎氏の名作『真田騒動―恩田木工-』(新潮文庫)及び『恩田木工―真田藩を再建した誠心の指導者』(川村真二著 PHP文庫)をお勧めする。
<補足2>
個人的には、恩田木工のスタンスが、初代松代藩主真田信之の姿とシンクロしてならなかった。真田幸村(信繁)の兄でありながら、徳川譜代の大名として幕末まで真田家を存続せしめたこの大政治家は、常に誠を通し、領民との絶対的な信頼関係をベースとした国づくりを行ったことで有名である。この「松代真田家の DNA」ともいうべきものが、時代を経ても木工に受け継がれていたというのは穿ち過ぎであろうか。DNA鑑定をしたい方は、ぜひとも大作『真田太平記』(池波正太郎著 新潮文庫)の読破にもチャレンジしていただきたい。

(黒田恭一)

新訂 日暮硯』岩波書店

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