今月の1冊
2023年10月10日
『子供を持つ親に読んで欲しい 日本昔話で学ぶ心のあり方』
昔話は人生のケースメソッド
皆さんは昔話が好きでしたか。
私は、昔話というと子供の頃にほぼ欠かさずに観ていた土曜の夜のアニメ番組でした。ただし、それは毎週楽しみにしていたというよりも、得体の知れないものから、「ちゃんと見ないと(いい子にしていないと)だめだぞ)」言われているような怖さがあって観ていた記憶があります。ほのぼのとした話だけではなく、夢に出てきそうな悲劇的なストーリーもありましたし、子供ながらに教訓的なものを感じていたのかもしれません。
フィクションの物語には、必ず読者に伝えたい主題(テーマ)がありますが、子供に読み聞かせる昔話は、人生を歩んでいく際に心に留め置いて欲しいことが物語として紡がれているものです。子供の頃はその筋を覚えることで知らず知らずに学ぶべきことが身についているのだと思いますが、大人になった今では、昔話にどのような主題が潜んでいるのかを意識しながら読みかえせる面白さがあるのではないでしょうか。
本書も、その主題を意識した1冊です。
著書のお一人、哲学者の大竹稽さんが取り組まれている「お寺で哲学をする」(通称:てらてつ)という活動がきっかけで生まれました。てらてつでは、日本昔話を素材として、子供たちを中心にみんなで体験や思いを伝え合います。
この本は、その学びの場を多くの人に味わってもらおうと、まとめたものです。
「金太郎」からは“プライド”、「笠地蔵」は“教える心 善行と遊び心”、「カチカチ山」は“温かい心”、「わらしべ長者」は“流されて流れない心”、「分福茶釜」は“楽しむ心”、「花咲か爺さん」は“素直な心”を、それぞれ6人の禅僧と、聞き手としての大竹さんが対話形式で紐解きます。もちろん、対話の内容が答えそのものではなく、そこから読者がどう考えるかが重要になってきます。昔話として展開される出来事から、禅僧と哲学者の対話をヒントに、自分なりの気づきを得るのです。
本来は、子供に読み聞かせをする親に読んでもらいたいという意図の書籍ですが、私の場合は、色々と悩ましいことが多くて心身共にモヤモヤしていた時に、原理原則に立ち返りたいという想いがあり、手に取りました。私自身が子供の頃に学んだ、この心に留め置くべきことをどこかに忘れてきてないかどうか、一度立ち止まって考えたかったからです。
悪いたぬきはどんな報復をされてもいいのか
本書の帯に、こんな印象的な言葉がありました。
『カチカチ山を読んだわが子が「たぬきって悪いやつだね」と言った。あなたは何と答える?』
いや、本当に悪いヤツなんです、このたぬき。子供の素直な感想は何ら間違ってはないのです。皆さんはカチカチ山のお話、詳細覚えてますでしょうか。
昔々ある日のこと、おじいさんは畑でいたずら好きのタヌキを捕まえました。おじいさんは家に帰り、おばあさんはタヌキ汁を作ってくれるよう頼むと、再び畑に出かけました。
ところがそのすきにタヌキはおばあさんを騙して殺し、ばばあ汁をつくりました。おじいさんはタヌキに騙され、ばばあ汁を食べてしまいます。
そうと知ったおじいさんはおいおいと泣きました。それを見かねたウサギがやってきて、おばあさんの仇討ちを始めるのです。タヌキの背負った薪に火をつけて大火傷を負わせ、やけどの後に辛子を塗り、船遊びに誘ってすぐ沈む泥舟に乗せて(ウサギは木の船ですね)溺死させ、おばあさんの敵討ちを果たすというお話です。
(※伝来の地とされている天上山の掲示板より拝借)
絵本やアニメならまだオブラートに包みようがあると思いますが、もしも実写で表現してしまったら、鑑賞の年齢制限が付くような目を覆いたくなるほどの酷い話です。
しかし、ここで、「この極悪非道のたぬきさんが、酷い目にあうことは自業自得だね」で済ませてしまってもいいのか、ここがこのお話の重要なポイントになってきます。
確かに、うさぎは正義の味方なのかもしれませんが、うさぎがたぬきを成敗したこと、また、その方法は正しかったのでしょうか。実際、この物語では、たぬきが溺死をするラストシーンで、舟が沈みかけて助けを求めている溺れかけたたぬきをうさぎが櫂で殴りつけてもいます。うさぎはここまでする必要があったのでしょうか。
こんな見方もできないでしょうか。
-たぬきは自分の命を守るため逃げようと必死だったのではないか。殺意なく、正当防衛と言えるのではないか。
(とはいえ、その後、ばばあ汁にする必要はなかったと思いますが)
-そもそも、まず最初に、おじいさんがたぬきを殺そうとしたのではないか。先に手を出した方が悪いなら、おじいさんが事をはじめたことになるのではないか。
(物語上たぬきは擬人化してはいますが、命の重さとして、人間とたぬきに差があるのかという深い問題もあります)
-敵を討つ形で、うさぎがたぬきに酷い罰を加えても、おじいさんはその後幸せになれるのか
(この物語で、一人として幸せになった人がいるのか)
本書では、小坂和尚が、救いようのないこの物語の中で、「温かい心」が大事だったのではと語ります。
この「温かい心」は、こうと決めつけないこと、相手の気持ちや状況を想像することができる心です。
確かに、おじいさんが畑を荒らすたぬきを悪いヤツだと決めつけてしまった。それが悲劇の始まりのようにも思えます。もし、おじいさんが「こいつが畑でいたずらをするのには、何か事情があるのではないか。」という考えが少しでもあれば、結末は変わってきていたかもしれません。
このカチカチ山では、「悪いことをすれば天罰が下る」という主題も大事な学びの1つではありますが、「人を困らせるようなことをしてしまう、その背景を考えてみる想像力」というのもまた、人生において必要なことではないかと、和尚は指摘くださいます。
また、この物語には、人が人を捌く難しさも読み取れます。
そもそも天罰とは、人が意図的に加えていいものなのでしょうか。
これは、昨今の芸能人のスキャンダルの吊し上げ的な扱いへの違和感などにも繋がっているように思います。もちろん悪いことは悪いのですが…
私がもしウサギだったら、おじいさんのためにどのような行動ができるのか、すべきなのか。簡単には出せない答えです。皆さんなら、どうされますか。
子供のためだけではなく、大人も物事を多面的に捉えられるようになるいい示唆がたくさん得られる1冊です。昔話をお浚いしながら、読み進めてはいかがでしょうか。
(藤野あゆみ)
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