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今月の1冊

2026年06月09日

廣野由美子著『批評理論入門 『フランケンシュタイン』解剖講義』


批評理論入門 『フランケンシュタイン』解剖講義
著:廣野由美子; 出版社:中央公論新社; 発行年月:2005年3月;価格:1,000円税抜

突然ですが、皆さんには苦手な仕事はありますか?

毎月楽しみにしてくださっている読者の方には冒頭から恐縮ですが、私にとって最も気合が必要なのが、この「今月の一冊」です。経験豊富で学びに熱心な読者の皆さんに何をお届けするか、選書に一年中頭を悩ませ、いざ書こうとすると「この本の良さを的確に伝えられているか」「著者の意図を歪めていないか」と、なかなか筆が進みません。

そんな書籍紹介を苦手としてきた私が昨年、今を時めく文芸評論家・三宅香帆さんの講座を担当する機会に恵まれました。全6回を通じてプロ目線で多くの魅力的な本を紹介くださり、その選書の幅広さや紹介の巧みさに毎回舌を巻きました。その中で紹介され出会ったのが、今回ご紹介する廣野由美子さんの『批評理論入門』です。三宅さんのような素敵な書籍紹介ができるようになるヒントが得られるかもしれない!そんな期待から読み進めた本です。

本書は、「批評理論」と呼ばれる文学の読み解き方について、前半を小説技法編、後半を批評理論編に分けて、一つひとつ丁寧に解説した入門書です。最大の特徴は、15の技法と、13の理論という膨大な要素を、一つの文学作品だけで紹介し切っていることです。その題材となっているのが、メアリー・シェリーの古典的名作『フランケンシュタイン』です。

私は、原作小説より先に映画や絵本などで触れたことから、人造人間が出てくるホラー作品という認識でしかありませんでしたが、この本を読むことで、『フランケンシュタイン』が様々な小説技法が巧みに散りばめられた作品であること、そして批評理論としても大変考察しがいがある作品であると知ることができました。
以下、印象に残った箇所を抜粋して紹介させていただきます。

「ストーリー」と「プロット」、そして書き換えられた冒頭

私はこれまで両者の違いをあまり認識できていなかったのですが、「ストーリー」とは出来事が時間の順番どおりに並んだもの、言わば「起きたこと」そのもの。これに対して「プロット」は、作者が意図的に出来事を配置し直したもの。つまり「語る順番」です。たとえば『フランケンシュタイン』は、北極探検への旅の途中でフランケンシュタインを救助したウォルトン船長が、自分の姉に送った手紙の内容として始まります。全編を通したプロットの巧みさによって、謎やサスペンスの効果が最大限に引き出され、読者が主人公と共に不安と恐怖を抱きながら成り行きを見守る仕立てに仕上げられています。

中でも冒頭部分は、読者にとって現実世界と虚構の世界を分かつ「敷居」のようなものです。敷居をまたいだ読者は、登場人物の名前や人間関係、時代、場所といった情報を記憶しながら絶えず推測を働かせなければ物語についていけなくなります。そういう意味では、冒頭は読者にとって負担の大きな部分でもあります。だからこそメアリーは、核心となる物語が始まるまでに実に4章も書き加え、非現実的な物語を「手紙」という現実的な枠組みの中に収めることで、その内容に信憑性を持たせる工夫を施したと、解説しています。

読書経験から育まれた作者メアリーの豊かな文学的知識と「間テクスト性」

小説や詩といった文学作品は、それ単体で突然生まれるわけではなく、過去に書かれた様々な作品や物語、神話、思想などから何かしらの影響を受けていると考えられています。そうした作品同士のつながりや響き合いのことを「間テクスト性」と呼ぶそうです。

メアリーは、父ウィリアム・ゴドウィンの熱心な教育や、夫パーシーと共に続けた読書の経験から豊かな文学的知識を育んだとされ、例えば、人造人間の創造という着想については「ピグマリオン伝説」が、あくことなく知識を得ようとする科学者像には一六世紀の「ファウスト伝説」が影響を与えていると考えられています。また作中の怪物が読んでいる本として『失楽園』が登場しますが、それは単なる小道具ではなく、物語のテーマそのものと深く絡み合っていることなど、メアリーの日記を元にした読書体験と照らし合わせ、たくさんの間テクスト性を紹介してくれています。

女性として書くということ、そして「出産神話」~フェミニズム批評より~

メアリーがこの小説を書き始めたのは、わずか18歳のときでした。著名な思想家を父に、フェミニズムの先駆者とも言われる母に生まれ、その母を出産直後に亡くしています。そして自身もこの作品の執筆前後に、幼い子どもを失う経験をしています。「生命を生み出す」ことと「喪う」ことの両方を、彼女は身をもって知っていたのです。

本書はそうした伝記的事実も踏まえ、『フランケンシュタイン』を「出産神話」として読む視点も提示しています。生命を創造しながらも自らの「産み出したもの」を拒絶し、破滅へと向かうヴィクター・フランケンシュタインの姿は、母性や創造にまつわる当時の社会的抑圧と深く響き合っています。女性が「生む性」として期待される一方で、知的創造の場からは遠ざけられていた時代に、メアリーはあえて「男性による生命創造の失敗」を物語の中心に据えていたのです。一人の若い女性が、自らの痛みや時代への問いを小説という形に昇華させた。そのように読むと、この作品の持つ重さがまったく違って感じられます。

このほかにも本書には、「怪物」と「創造主」という対立構図そのものを疑いにかける脱構築批評や、怪物の絶望を社会から排除された者の叫びとして受け取るマルクス主義批評、作品が生まれた時代の社会的空気(科学技術への期待と恐怖が交錯した産業革命期)を重ね合わせながら読み解く新歴史主義など、一冊の小説をここまで多角的に読み解けるのかと驚かされる批評理論が次々と登場します。

私は冒頭の経緯もあり、本書から先に読み始めましたが、おすすめは、『フランケンシュタイン』の原作を読んでから、本書を読み、再び原作を読み直してみることです。私は本書を読んだ後に、原作を読みましたが、小説を読む武器を得たことで、目に飛び込んでくるキーワード、文章、シーンが面白いほど変わり、ホラー小説で終わらない深みの詰まった、読み応えのある小説であると身をもって感じることが出来ました。

「批評理論」と聞くと堅苦しく感じてしまいますが、この本を読むと批評理論とは、小説を「深く味わう」ための道具なのだと実感できると思います。

文学が好きな方にはもちろん、「小説は読むけれど、なんとなく読み流している気がする」という方には、手に取ってみてほしい一冊です。ぜひ、皆さんも、この『批評理論入門』を通じて、小説のから広がる世界を堪能していただけましたら幸いです。

(鈴木)



批評理論入門 『フランケンシュタイン』解剖講義
著:廣野由美子; 出版社:中央公論新社; 発行年月:2005年3月;価格:1,000円税抜
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