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今月の1冊

2007年11月13日

『不動心』

著者:松井秀喜
出版社:新潮社 (新潮新書); 発行年月:2007年2月; ISBN:9784106102011; 本体価格:680円(税込価格714円)
書籍詳細

自分がプレイしないスポーツにはあまり関心をよせない私ですので、「松井秀喜選手」には、巨人軍からメジャーに移籍して4番バッターを任される日本人プロ野球選手として有名な人、という程度の知識しか持ち合わせていません。本書を書店で見かけたときに、とにかく“すごい人”という言葉でくくられている人が書いた本ということで手にとってみました。
読み終えた感想としては、「ああ、やっぱりそうなのか」という、ある意味、「肩透かし」な感じです。誰もが認める一流選手だから、普通の人とは違う経験に基づく何か特別なことが書かれているのではないかという浅はかな期待は裏切られ、TVの画面から伝えられる彼の非常に生真面目な印象をさらに強めるものでした。
しかし、本書にはやはり一流の人がもつ普遍性、奇をてらわず、あるものを素直に受け止め、未来につなげることを愚直に行う姿勢が、数々のエピソードを通じてつづられています。あらためて本物とは何かということを認識させられると同時に、やさしい語り口によってさらにピュアな気持ちを思い出させてくれるさわやかな1冊でした。


さて、本書は、プロ野球選手としての選手生命を脅かす2006年の左手首骨折からの復帰を機に書かれました。冒頭で『僕は、生きる力とは、成功を続ける力ではなく、失敗や困難を乗り越える力だと考える』と言っています。甲子園で5打席連続敬遠されたとき、希望していた阪神に入団できなかったとき、ヤンキース移籍を決断したとき、移籍初年「ゴロ王」としてニューヨークタイムズでたたかれたとき、そして、左手首骨折したとき、野球人生を通した、様々なエピソードから、彼の取り組み方、考え方、はては生き方を語っています。
松井選手の父は『努力できることが才能である』、そして母は『竹は節があればこそまっすぐに成長する』と教え、そして彼自身は、『大きな体を授かったけれど、けっして天才型ではなく、努力しなければ人並みにもなれないタイプ』と自覚し、毎日素振りを欠かしたことがない。たかが素振りされど素振り。基礎の基礎である素振りを彼は『試合に勝った日も、ホームランを打った日も、大敗した日も、ヒット1本打てなかった日も、欠かさずバットを振ることで今日をリセットして、明日に向かう。それは「未来へ向かう決意」である』といいます。まさに、愚直です。
この素振りには他にもエピソードがあります。調子が悪いときには長島茂雄元巨人軍監督との2人だけの練習が行われ、バットの空を切る音で調子のよしあしを見極めていくそうです。遠征先のホテルの室内で、バットを振ることに全神経を集中する。このときの室内の集中力は誰にも声をかけることが許されないほど高まっていることは想像に難くないでしょう。この高い集中力を伴う作業こそが、心を無にすることに繋がり、さらには明日への希望を作り出すのかもしれません。
一方、普段冷静に見える彼にも『暴れん坊の自分も住んで』いて、幼いころには感情をむき出しにし、ひどく叱られた経験があるそうです。高校2年生の台湾での遠征試合で、審判の判定に不服を感じてバットを投げ捨てたことに対し、当時の星陵高校の山下監督は『おまえはジャパンのユニフォームを着て試合に臨んでいる。石川県代表ではなく、日本代表の選手なんや。マナーも大切だ。球界のトップレベルを目指すならば「知、徳、体」の三拍子そろった選手になれ』と叱ったそうです。まさしくプロであり一流とはこういうものだと考えさせられる重い言葉です。この言葉を受けた後も、イライラすることがあったようですが、態度や口に出すことが、気持ちを乱しバッティングにも大きく影響を及ぼすということを経験した末に『だから僕は少しでも乱れる可能性がある行動を慎もうと考えています。』といいます。彼のすばらしさは自分の感情を認めつつ、よりよいパフォーマンスをあげるために自分をコントロールすることができることだと思います。
プロとしての野球に対する彼の真摯な姿勢をあらわす言葉のなかで、特に印象に残ったくだりは、『「打ちたい」と強く願ったからといって、打てるわけではない。結果を左右するのは、願いの強さよりも「平常心」ではないかと思う。だから僕は162試合同じように準備をして、すべて同じ心境で打席に入りたいと思っている。』
これがまさに「不動心」。
タイトルともなった「不動心」とは「広く深い心」と「強く動じない心」。この言葉は彼の故郷の景色の中にありました。松井秀喜ベースボールミュージアムに刻まれている彼の言葉。

 『日本海のような広く深い心と
  白山のような強く動じない心
  僕の原点はここにあります』

なるほど、この本で紹介しているすべてのエピソードには、松井選手を育てた両親・監督・故郷を礎に、不動の心を持ってまっすぐに未来に向かおうとする松井選手の姿がつづられていたのです。
スポーツ選手に限らず、人は多かれ少なかれ、自分の思いとは異なる環境や状況のなかで、気持ちが揺れ動くことがあります。感情の振幅をコントロールし、どーんとした構えで、自分の目標に向かう、役割をこなす、この至極シンプルで基本的なことを徹底しておこなうことこそが、一流の証なのかもしれません。
(前田祐子)

不動心』(新潮新書)

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