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『おこしやす ―京都の老舗旅館「柊家」で仲居六十年』

2007年12月10日

著者:田口八重
出版社:栄光出版社; 発行年月:2000年9月; ISBN:4754100352; 本体価格:1,300円(税込価格1,365円)
書籍詳細

今年の秋、紅葉を見に京都へお出かけになった方も大勢いらっしゃるのではないだろうか。平安京遷都から千年以上の時を越えて、政治や文化の中心として歴史を重ねてきた京都には四季折々の美しさと現代社会からは消えつつある日本人の「こころ」がある。私事で恐縮だが、かつて「日本発のブランド」の仕事をしていた関係で、日本文化への造詣を深めたくて年に数回は京都を訪れ、感性を磨くように心がけてきた。
そこで、今回は私が京都に興味を持つきっかけとなり、現在は人生の教科書にもなっている1冊をご紹介したい。


皆さまは、京都の老舗旅館「柊家」をご存知だろうか。「俵屋」「炭屋」と並ぶ御三家の一つで、200年近い歴史のある旅館である。古都ならではの面影が色濃く残る京都・麩屋町の町並みの中に位置し、「来者如帰」―お客様がご自分の家に帰ってこられたようにおもてなしする―こころに則り、控え目で家族的なサービスで古都の旅情を満喫できる旅館として今も昔も多くのお客様から愛されつづけている宿である。
かつては、川端康成や三島由紀夫などの文豪、慶應義塾で塾長を務めた小泉信三をはじめとする大学教授、横山大観や小林古径といった日本画壇の大家など数多くの著名な方々が、定宿としていたのである。川端康成は特に柊家を贔屓にしており、「京都は昔から宿屋がよくて、旅客を親しく落ちつかせたものだが、それも変りつつある。柊家の万事控目が珍しく思へるほどだ。京のしぐれのころ、また梅雨どきにも、柊家に座って雨を見たり聞いたりしてゐると、なつかしい日本の静けさがある。私の家内なども柊家の清潔な槇の木目の湯船をよくなつかしがる。わたしは旅が好きだし、宿屋で書きものをする慣はしだが、柊家ほど思ひ出の多い宿はない。」と柊家へ寄せている。古き良き日本、心の故郷としての日本を、柊家に重ねて、足繁く通ったようだ。
そして、この老舗旅館で約60年の間、仲居として勤めてきたのが著者である田口八重さんだ。明治42(1909)年、岐阜県中津川に生まれ、28歳の時に京都に行き、柊家の仲居になった。その後、取締役、仲居頭、女将代理を歴任し、昭和36年には運輸大臣賞、昭和44年には接客業に携わる人で初めて黄綬褒章を受章している。本書を執筆したのは91歳の時で、既に現役を引退してはいたが、週に一度「柊家」へお花を活けに通っている。仲居という仕事は人が好きで、我慢強く、体力がなければ務まらない仕事だと思う。柊家では、お客様が目を覚ます前に炭をおこし、お座敷を回り、おきた炭を火鉢に埋め、茶瓶をかけ、香をたく。お客様が入浴している間に、ハンカチが汚れていれば洗っておき、ズボンにシワがよっていればアイロンをかける。お食事の時は、一つひとつのお座敷について終わるまで傍でお世話をする。このような「目配り、気配り、心配り」が求められる激務を60年も愛着と誇りを持って続けられる、明治生まれの女性の強さと心意気にはただただ感服するばかり。本書では、著者が柊家で約60年間一途に働いて培った接客の心構えだけでなく、著名なお客様との悲喜こもごものエピソードなどがたくさん盛り込まれている。ここではそれらのいくつかを紹介したい。
著者が最も大切にしていること、それは「お客様に喜んでもらうため、お客様を第一にする」という考え方である。これには二つの意味がある。一つはお客様の立場で、一人ひとりに合ったおもてなしをすると言うこと、もう一つは他の仲居とは違った自分流の方法でおもてなしをするということである。接客の仕事では極めて当たり前で、言い古された言葉かもしれない。しかし、私はこれまで形骸化した「お客様第一主義」を数多く見てきた。そうならないためにも、著者の接客のこころを一人でも多くの方に知ってもらいたい。
本の中には数多くの著名人が出てくるが、私が最も感銘を受けたのは第35代内閣総理大臣を務めた平沼騏一郎とのエピソードである。平沼閣下は柊家の常連だったが、非常に気難しい方でなかなか心を開いてもらうことができず、お話ができるようになるまでに3年かかったと著者は言う。政治の世界に身を置く関係上、本心を覗かせることができなかったのかもしれないが、著者が粘り強く、閣下の気持ちを察したきめ細やかなお世話をすることで、ようやく心を開いてもらうことができた。私たちは3年もの間、一人ひとりのお客様を、心を込めてフォローし続けているだろうか?また、閣下が病気のため岡山で療養していた時には、閣下の大好物を持ってお見舞いに行く。今ではこの道のりがどれほど大変だったか想像することは難しいが、著者のように心からお客様を思う気持ちがあれば、自然と力が漲ってきて不可能を可能にしてしまう。「お客様に喜んでいただきたいから努力する」ことが、大きな支えになっているのである。
そして、もう一つ、著者が人と接する時の座右の銘は、「人も動物もかわいがると心を許して本心を見せて付き合ってくれる。この世の中に悪い生き物なんていない」というお客様の一人であった東京大学 教授の大内兵衛の言葉である。私たちは外見という第一印象に頼りすぎたり、噂話だけで相手を判断してしまいがちで、ものごとの本質を見誤ることが少なくない。じっくり付き合ってみると第一印象と全く違うということも多々ある。そのような時には、まず自分から心を開いてみるといいと著者は言う。時には「この人とは相性が合わないな」と思うことがあるかもしれないが、苦手意識を持つ前に、相手の良いところを探して好きになり、褒めて差し上げる。そうすることで、苦手意識がなくなるだけでなく、自信にもつながる。
本書にはここには書ききれないくらい多くの、日頃仕事をする上での心がけや生きる上でのヒントが散りばめられている。著者の真摯な生き方は、接客とは縁のないお仕事をされている方にもお役に立てると思い、紹介させていただいた。
年末年始のお休みに、本書とともに古き良き時代の京都に思いを馳せてみてはいかがだろうか。
(石川夕貴子)
柊家 http://www.hiiragiya.co.jp/

おこしやす ―京都の老舗旅館「柊家」で仲居六十年』(新潮新書)

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