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『幸田文 台所帖』

2009年04月14日

著者:幸田文 ; 編者:青木玉 ; 出版社:平凡社 ; 発行年月:2009年3月 ; ISBN:9784582834284 ; 本体価格:1,600円(税込 1,680 円)
書籍詳細

自然の少ない都会に住んでいると、季節の移り変わりに疎くなると言われる。それでも、都会に住む私たちは、街路樹、道端に咲く花、陽の傾き、雲の様子・・・等々、日々の暮らしのなかで目に入る小さなものからも季節を感じようとする。
そんな生活の中で、四季の変化を感じるものは食べ物からという方も多いだろう。食いしん坊な私も、口にするものからまずは季節を感じる。
なかでも一番季節を感じる料理は、実家の母がひな祭りの頃になると決まって作る押し寿司だ。専用の木箱のなかに、酢飯と甘辛く煮た季節の野菜や酢で〆た白身魚を段々に入れ、表面を錦糸卵で覆い、木箱の蓋でグッと押していく。しばらく押した後、型から抜くと、まるでケーキのような色鮮やかな押し寿司が出来上がる。錦糸卵の黄色は菜の花畑をも連想させ、目で春の訪れを楽しみ、甘酸っぱい酢飯とともにふきや筍といった春の味覚が口いっぱいに広がる。
この押し寿司は「大村寿司」というもので、長崎県大村地方では戦国時代から代々伝わり、今でもお祝いの時や客人にふるまわれる郷土料理だそうだ。


我が家では、母方の祖父の祖先が大村地方に住んでいたことをきっかけに、代々伝わる家の味となっている。祖父母も母も自分たちは長崎に暮らしたことはなくとも、母から子へ、子から孫へと伝え、春が来る度に作る。
「大村寿司」を作る日は、前日から台所は慌ただしくなる。干し椎茸を戻し、人参、かんぴょう、筍を甘辛煮にし、ふきを甘く煮て薄く裂いておく。鯛などの魚を酢で〆ておくのも忘れてはならない。いくつもの鍋や皿の中にさまざまな具材が別々に用意され、手間と時間のかかる贅沢な料理である。
当日は、大量の卵で錦糸卵を作る。実家にいた頃は、これは私の役目。万が一、端が少しでも焦げたり、色が濁っていたら失敗だ。いつもは倹約家の母も、この時ばかりは失敗したものを無駄にしてでも再び卵を割り直し、一から作ることが命じられる。「大村寿司」の表面は、鮮やかな黄色の錦糸卵で一面が覆われていないといけない。
押しが終わると型から抜き、スッと包丁を入れ、小さな正方形の寿司がいくつも出来上がる。黒の漆の皿などに盛るとその黄色がまた映える。まずは神棚、そして仏壇、最後にひな人形にもお供えをし、今年も春が訪れたことを伝え、家族みんなが元気で暮らせますようにと祈る。そして、ようやく私たちも頂くことができる。
物心ついた時から、春の風物詩のように、この一連の作業を手伝い、口にしていたため、私は「大村寿司」を食べないと春が来た気がしない。
台所には“音”があると言う。
水で菜を洗う音、包丁で魚をおろす音、鍋で汁物を煮る音・・・。
同じ作業でも、台所に立つ人によって、その音は違うそうだ。食材や食器をあつかうときの穏やかさ、動くときの優しさ、あるいは威勢の良さ、潔さ…台所から出る音は、まるでその人となりを表しているようにも思う。そして、同じ人であっても、その時々の状況や感情によって、また歳とともに人生経験とともに、台所から出る音は違っていると言う。
『台所帖』の作者 幸田文は、幼くして母を亡くし、継母は料理が不得手で身体も弱かったこともあり、中学生の頃から一家の台所を預かり切り盛りしていた。彼女に惣菜や酒の肴のあれこれ、膳の盛り方、台所での立ち居振る舞いを細かく教えたのは、父である文豪 幸田露伴だそうだ。父は娘にこう言って聞かせた。
「ものいいがやさしく、立居ものごしがやさしい、などとそんな表側のことだけに感服していては駄目で、台所へ気をつけてみるんだ。鍋釜や瀬戸ものへの当たりのおだやかさ、動きまわる気配のおとなしさ、こういうところにしみだしている優しさを考えると、これは決して付焼刃や、一代こっきりその人だけという、底の浅いやさしさではないと思う。代々伝えてきた、厚味のある優しさがうかがえるものだ」
「騒々しい膳をだすな。多きは卑し、という言葉をおぼえておいてもらおう。どれほど結構なものでも、はみだすほどはいらないんだ。分量も味のうちだとわからないようでは、人並みへも遠いよ」
明治生まれ、かつ文筆の人だから多少うるさ型ではあったろうがと、文は書いているが、そこには、どうすれば一番良い状態で美味しく食べることができるかという食べ物への深い愛情とともに、現代にも通じる相手を想う本当の優しさとは何か、台所仕事をたとえに教えてくれていると思う。
露伴は、高価なものを好むのではなく、季節の素材を生かし、鮮度を大切にし、どんなものでも最もおいしく食べるためにはどうあるべきかにこだわった。そのためには、今の旬は何か、その持ち味が引き立つ切り方、調理の仕方、盛り付け方から、相手が最も良い状態で食べることのできるよう膳に出すタイミングまで、台所をあずかる文にはこれら一連の段取りとそのための細やかな心遣いが要求された。文は、粗くしかできなかった心遣いがやがて細やかにできるようになり、それを会得することによる喜びを味わうことができ、台所では心もまた育んでくれたと書いている。
素材を大切にする慈しみと、食べる人への愛情まで、それらは味になり形となるだけでなく、食材や道具、食器に触れるときの当たり、さまざまな動作の際に“台所の音”となって表れてくるのだろう。心遣いや愛情が忘れられているときの音は、真剣さも欠け心ここにあらずとなり、がさつで荒々しい音となって出てくるように自分の台所仕事を振り返っても思う。
文は、小学生の時から、父のすすめで毎日の献立を書き留める「だいどころ帖」をつけていた。父はそれを一緒に見て「この帖面から音が聞こえてくるようにならなくちゃね」と言いこう付け加えた。
「台所には是非とも音が生じる。その音を怖じたり、恥じたりしないようになれ。厨房の音を美しくしろ。台所の音をかわいがれ。台所は食べるうまさをつくるところだ、うまい音があっていいはずじゃないか」
台所がキッチンと呼ばれるようになった今でも、「食物に心を用いないのは愚かであり、おいしく料っておいしく食べることは幸せ多きこと」であるのに変わりはない。
台所からは音とともに人が育つ。食べるということは、実際に身体の一部となるだけでなく、私たちにたくさんの気づきを与え、代々伝えられた命をつなぐ。文はこう書いている。
「父と私がいちばん深くつながっていたところは、決して文章でもなく学問でもなかった。ただつまらない台所であり食事であったのである。」
今年のひな祭り。「大村寿司」を食べながら私は思った。
母の次にこのお寿司を作るのは誰だろう・・・と。私にはこんな味は出せないと荷が重くもあり避けたい気持ちもある。でも、心のどこかでやってみたい、私がつなげていかなくちゃと思う気持ちもあるのが正直なところだ。
今の私は、台所でどんな音をたてているのだろう、そしてこれから、どんな音をたてていくのだろう。遅まきながら、台所の“私の音”を意識することを教えてくれた1冊である。
(保谷範子)

幸田文 台所帖』(平凡社)

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