KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

2009年09月08日

コミュニケーションを考える

ある日、「ああ、わたしも大人になったんだな~(溜息)」と感じた瞬間がありました。
どんな瞬間だったかと言うと。
例えば、
疲れやすく元気を取り戻しにくい体に気づいた時。
すぐに増え、そして減らない体重を嘆く時。
例えば、
友人の結婚式に立て続けに呼ばれ、また、出産祝いに駆けつける時。
両親の還暦を祝い、末の妹の就職を祝った時。
そして、
身近で大事な人がまたひとりと亡くなってゆく時。
大人になるとは、年をとる・時間が経つとは、ああ、こういうことなのかと
一抹の寂寥感とともに、時に大きな喪失感とともに思ったものです。
もっと卑近なことで、気づいた変化もありました。
これが、実は「大きな」変化であるとわかったのは、慶應MCCでコミュニケーションのプログラムを担当するようになってからでした。
変化とは例えばこうです。


買物にでかける先がだいたい決まってくる。
それと同時に、タンスの肥やしになる服、履かない靴が減る。
行きつけのレストランができる。
気に入った美容院はもう10年も変えていない。
同じ作家の本が並ぶ。
音楽も映画も、何を聴けば元気が出るか、自分がどんな映画を見たいのかわかってくる。
以前は、こうは行きませんでした。
事実そう行っていなかったという証拠に・・・
私が高校生の頃の話。
とあるシリーズものの書籍の作家に、手紙を書いたことがありました。
作家に手紙を書いたのは後にも先にもあの時だけです。
それが、読者からの手紙を集めて出版された書籍に掲載されました。
そこには、高校生の私によって切々と書かれています。
「自分の口から発せられる言葉が、すべて他人やメディアの受け売りである」
「あふれる情報に押し流され、自分を見失ってしまう」
「もっと確固たる自分を持ちたい」
よっぽど悩んでいたんでしょう。なぜそれを作家にぶつけたのかは今となっては謎ですが。まあ、そういう年頃でした。
だからこそ、好きなものは好き、いいものはいいと言えるようになる、「わたしはこう思う」と自信を持って言える。この変化は、飛び上がるほどに嬉しいことだったのです。
しかしその一方で、別の変化にもまた気づかざるを得ませんでした。
街に出ると、見かける人の行動にやけにカチンとくるようになる。
レストランや店舗で受けるサービスに、「気に入らない」と感じる瞬間が増える。
見るもの、聞くものに評論家のような反応を示すことが増えた。
第一印象で、読むかどうか観るかどうか、聴くかどうかを決めてしまう。
ちょっと関心をもつことがあっても、すぐ自分には無理だと思ってしまう。
・・・すべて挙げたらきりがありませんが、つまり、
私は自分の「価値観」を徐々に明確に意識できるようになっていったと同時に
「認識の枠組み」をも、固定化させていたのです。
認識の枠組みの固定化。
大人のコミュニケーションの難しさはここにあります。
あらゆるコンフリクトの根底には、枠組みの固定化が潜んでいて、
それらがぶつかり合って火花を散らしているのです。
「同意」「賛成」は気持ちがいい。
盛り上がる会話には、随所に「わかるー!」「そうそう、そうなんだよね」という言葉が散りばめられます。
ごはんはおいしいし、お酒はすすむ。
できればそんな人とだけ、長く交流を続けていきたいと思う。
しかし、大人はそこを超えなければなりません。
大人には、特にこのグローバル社会に生きる大人には、
「同意」でも「賛成」でも、その安易な裏返しである「反発」や「反対」でもなく、
その間にあり土台にある「共感」が求められているのです。
「共感」、つまり、固定化された枠組みから自分を解放し、向かい合う相手の枠組みをも受け容れる必要があるのです。
「受け容れる」というと、ちょっと重たい感じがします。なんとなく、
「同化する」というイメージがつきまとうのです。
というわけで、私が今一番しっくりきている表現は、
「寄り添う」です。
良いとか悪いとか、
価値判断から離れて、とにかくまずはそれに「寄り添う」ことです。
寄り添って、その人の見ている景色を見ます。
その人の聞いている音を聞き、その人の感情を、考えを知ります。
そうしたら、自分との違いがわかります。
そこからコミュニケーションは始まるのです。
違うのはあたりまえ。違うからこそコミュニケーションするのです。
どうしたら寄り添うことできるのか?
今の段階で一番しっくりきているのは
「愛情を持つこと」
相手に。相手の持つ無限の可能性に。
愛情がピンとこなければ、「関心を持つこと」
関心を持つのが難しければ、では最初の一歩として「自分には関係ないと思わないこと」
これは、慶應MCCの講師諸氏により、説明は様々です。またそれは
聞く側によっても様々に解釈されていると思う。
まずは気づくところから。
自分の枠組みに気づくところから。そして人と人との関係には、「同意」と「同意できない」だけでなく「共感」というステータスがあるということを知るところからではないでしょうか。
その機会としてぜひ慶應MCCのプログラムをご活用いただけることをお待ちしています。
そしてヒントとしてMr.Childrenの「掌」を一度ぜひ聴いてみてください。
充実した仕事人生も子どもの成長も、家族の絆も世界平和も、同じようにここから始まるのだ、と「共感」こそ豊かな世界に欠かせざる一歩だと、気づくこと請け合いです。
(松江妙子)

◆コミュニケーションを考える慶應MCCプログラム群
 『エナジャイズド・コミュニケーション』2009年11月開講
 『NLPプラクティショナー・コース・コア』2009年10月開講
 『協奏チーム・コミュニケーション』2010年1月開講

◆Mr.Childrenのアルバム『シフクノオト』より「掌」

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