KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

今月の1冊

2009年11月10日

誰もが“Challenged”! 

“challenged”とは英語で障害者をさし、「神からチャレンジという使命を与えられた人」という意味があるそうです。私が学生の時は、“a handicapped person”と教わった記憶があるのですが、「ハンディのある人」という意味より、challengedの方が、呼ぶ方も呼ばれる方も、ずっと気持ちがよいのではないでしょうか。
私がこの単語を知ったのは、恥ずかしながら、ごく最近で、この10月から放映されていたNHKのドラマ「チャレンジド」を通してでした。
このドラマは、病気で視力を失った熱血中学教師が、盲目となっても、教職への夢を諦めず、苦難を乗り越え、再び教壇へ復帰するまでの数々の「チャレンジ」を描いています。
最初は、主演俳優目当てという、非常に不純な気持ちで見ていた私でしたが、本当に素晴らしい作品で、設定が地方の中学校ということもあるのか、世知辛い東京暮らしに慣れてしまっている私にとって、生徒の純粋さが眩しすぎるシーンもありましたが、その点を差し引いても、随所に、視聴者の心に「何か」を語りかけてくれるものがありました。


私がこのドラマに、一番、心動かされたのは、主人公が、盲目という障害を乗り越え、晴れて中学校教師として再採用された時のエピソードです。
彼は、もとは健常者。だからこそ、だったのかもしれませんが、自分が「盲目の教師」であることを意識し過ぎて、後ろ指を指されることがないように、「健常者の先生に負けないようにやってみせる!」と決め込み、全てを一人でしょいこんでしまいました。もちろん、彼を冷ややかな目で見る同僚の教師もたくさんいましたので、「他人に迷惑はかけられない」という責任感もあったのでしょう。しかし、目が見えないのは事実なのです。健常者の先生と同じように対処できるはずはありません。彼は、復帰初日に、職員室から自分の教室にたどりつけず、ホームルームに遅刻してしまいました。さらには、生徒の体調の変化に気づかず、結果、無理をした生徒が教室内で倒れてしまっても、何もすることができず、隣の教室の先生が駆け付け、生徒を抱えて保健室に行くのを「大丈夫か?大丈夫か?」と声をかけることしかできなかったのです。
彼は「やはり、健常者と同じようにはできないのか」と自分の能力に絶望しました。そんな時、妻から「自分がどうしたいかではなく、どうして欲しいのかを考えたら?」と、言われたことにより、彼は、どうすれば、自分が教師の仕事を続けていけるのかを悩み、考え、ある決心をしました。
翌朝、彼は職員室に出勤をするなり、同僚に声をかけ、「僕は目が見えません。できないことが、たくさんあります。みなさん、助けてください。お願いします」と、頭を下げました。
同僚の中には、色々なタイプがいます。最初から障害者に理解のある人。同情はするけれど、自分は関わりたくないと思っている人。平穏を好むが故、少しでも面倒なことに繋がるようなものは排除したいと思っている人、等々。でも、皆が平等に「良心」というものは持っています。頑なに自分だけの力でやり抜こうとしていた彼が、素直に頭を下げたことによって、同僚らの良心に訴えかけるものがあり、少しずつですが、各自それぞれの方法で、サポートをしてくれるようになったのです。
彼は、自分自身が「全盲」という事実を受け入れて、初めて、教師としての第一歩を踏み出すことができたのです。
私は、これは障害者の方々だけの話ではないと思いました。人には、大なり小なり、誰しも欠点があります。人前に出ると緊張してしまう人、記憶力の悪い人…でも、そういった自分の弱いところを克服するには、まず、自分自身が弱点を受け入れることが大事なのではないでしょうか。
世の中には、障害者の方にスポットをあてた、書籍、ドラマ、ドキュメントはたくさんあります。けれど、私は、こういった類のジャンルはあまり得意ではありませんでした。「障害のある方が、こんなに頑張っているのだから、健常者の私たちは、もっと頑張らなくては!」というようなメッセージしか、受け取ることができなかったからです。もちろん、障害者の方々が置かれている環境を理解し、健常者が少しでもお役に立とうと心がけることは、とても重要なことです。しかし、私は、他人の人生と比べることによって、自分の環境を恵まれていると認識することを、受け入れることができなかったのです。
でも、このドラマは、障害者、健常者という枠組みではなく、全編に渡り、「生きるということは、神から与えられたチャレンジに取り組むということ、前向きに努力している人はだれもが皆、Challengedなのだ」というメッセージがありました。そういう意味では、Challengedの先輩として障害者の方々の書籍などを読むことは、学ぶことがたくさんあるのではないかと思えるようになったのです。
私は、このドラマと出会ったことで、もう少し、Challengedの先輩方の体験を伺いたいと思い、色々と書籍を探しました。そして、ドラマの設定に近い体験をされた、新井先生という全盲の中学教師が書かれた「全盲先生、泣いて笑っていっぱい生きる」という一冊を手にしました。
この書籍がドラマの原作という訳ではないようで、ドラマでは教師に復帰してからを描いていましたが、書籍では、全盲になった過程、再び教壇に立ちたいと思えるまでのこと、共に試練と戦ったご家族のことをメインに書かれていました。
朝、起床すると、右目が見えなかったという突然の出来事。
残存視力を残すため、激しい痛みと戦いながらの手術。
何度も治療を繰り返した中での両目の失明。
人目があるから、家の近くで白杖を使わないでくれと親に言われ、当たり散らした妻には一家心中を迫られ、ひきこもりになった日々。
壮絶な経験をされた新井先生が、再び立ち上がれたのは、「家族の支え」と「人との出会い」でした。ドラマ「チャレンジド」でも、この書籍でも、人は一人では生きていけない、周りの人々に生かされているのだと、強く感じました。
しかし、この「家族の支え」でさえも、紆余曲折がありました。新井先生は、全盲になったショックから、一時期、妻や子供にさえも心を閉ざしてしまいましたし、前向きに教師への復帰を目指してからも、辛いことが多く、ご自分のことで精一杯で、ご家族を顧みることをしなかったため、当時は、家族の心がバラバラになってしまっていました。ある時、その事態に気付いた新井先生は、家族の絆を取り戻すために、毎年、家族で海外旅行をするようになり、行き先の相談や思い出話をすることで、少しずつ会話が増えました。慣れない海外、しかも、視覚障害者の父親と一緒の旅行ですから、色々なハプニングもありますが、だからこそ、家族みんなで達成感を味わえ、一体感も生まれたのです。
「前向きにチャレンジする人は、美談として紹介されることが多いけれど、決して、スーパーヒーローではありません。ただの人間です。チャレンジの過程で、間違いも失敗もするし、挫折もする。でも、それでいいのです。」・・・新井先生という、Challengedの先輩は、書籍を通して、こんなことをおっしゃっているようでした。
新井先生は、毎年、11月の奥様のお誕生日に、日頃の感謝を込めてボジョレーヌーボーを贈っているそうです。
私も、周囲の人への感謝を忘れず、これからは、大切な人たちのお誕生日には、お祝いと一緒に、「いつもありがとう」を贈りたいと思いましたが、まずは、日々、つまずきながらも、チャンレンジを重ねていきたいと、心から思えた、この1本のドラマと1冊の本との出会いに感謝をしたいです!
(藤野あゆみ)

NHK土曜ドラマ「チャレンジド」(11月7日放送終了)
全盲先生、泣いて笑っていっぱい生きる』新井淑則著、マガジンハウス

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