今月の1冊
2010年07月13日
『ほしいものはなんですか?』
著者:益田ミリ ; 出版社:ミシマ社 ; 発行年月:2010年5月 ; ISBN:9784903908182; 本体価格:1,200円(税込 1,260円)
書籍詳細
サッカーワールドカップの熱気はしばらく冷めそうにない。
4年に一度の大イベントに、世界中が沸いた。
フィールドを駆ける選手たちの姿は、何かに熱中することの
すばらしさを教えてくれる。
努力を惜しまないこと、全力を尽くすこと
自分を信じること、周囲に感謝をすること。
決定的なシーンでの不運でさえも、チームワークの
美しさを知る機会となった。
そして、勝利は格別である。
負けたって応援する気持ちは変わらないけれど、
でもやっぱり、勝つっていいよな、と思う。
一緒に応援する仲間とグラスを合わせたり、
普段サッカーを見てなくたって、興奮して眠れなくなったり。
こんなにも勝敗にさらされて生きる、その苦しさを思う。
同時に、勝敗に賭ける姿から発せられる潔さに、抗いがたく
憧れを覚える。
そういうものかも知れない。
そんな折、手に取ったのは
人生の、勝敗では語り得ない部分に光をあてた本書だった。
『ほしいものはなんですか?』
正確にはマンガである。しかしビジネス書の棚の並びに平積みされていた。
帯に描かれた二人の女性主人公の一人が、暗い表情でややうつむいて
そして、私と同じ名前だった。
帯にあった言葉は
「このまま歳をとって、“何にもなれず”終わるのかな・・・」
存在感が欲しい専業主婦ミナ子と、保証が欲しい独身OLタエ子。
これだけ見るといかにもステレオタイプの、やや食傷気味の展開が予想された。
でも、タエ子がんばれ、と思わず購入して、ページを繰る。
植田まさしを思わせるような単純でやわらかいタッチの絵、
言葉数の少ない台詞回し。
時に理が勝ちすぎるきらいもあるが、しかし
テーマの持つ独特の色合いを、絶妙のバランスで中庸に保つことに
成功している。
大事なことはいつでも、『問い』から生まれる
そうして読み進めると、ちょっといいのだ。
もう一人の大事な登場人物、ミナ子の一人娘リナちゃんの存在が
ぴりりと効いている。
理性的であろうと努める二人の女性の間に立ち、
二人が時たまこぼす本音をキャッチし、
素直に投げかける疑問は、大人の心に小さな波を起こす。
大事な学びはいつでも、よい問いから始まる。
答えを与えるよりもずっと深く、強い気づきが生まれる。
子どものほうがきっと、そのことを知っている。
タエちゃんは何になりたかったの?
タエちゃんはなりたいものになれなかったの?
タエちゃんも若くなりたい?
ママはお誕生日うれしくないの?
ママがいま一番ほしいものってなに?
「主人」ってパパのことでしょ?どういう意味?
ママは何になりたかったの?
問われた大人の答えは、非常に歯切れが悪い。
…なりたいものになりたいわけじゃないんだよ
…若い時間は短くていいんだよ
…全部の質問に答える必要はないんだよ
なにやら切なくなるような、心もとない言葉が連ねられる。
勝ち負けじゃないのに
やがてスポットライトは、ミナ子とタエ子の間に光を落とす。
周囲から「あなたは幸せだ」と言い聞かせられて
自分もその枠を飛び出すことができず、存在の軽さに悩むミナ子と
マンションを買い、子持ちの同僚の穴を埋め、これからも一生
働き続けるのだと背筋を伸ばしながらも、ため息をつくタエ子。
二人の会話を聞きながら、リナちゃんは「ママたちケンカしてる?」と
問う。
二人は我に返って、取り繕って席を立つ。
白けた空気が漂う。
それぞれの帰り道、
それぞれに自分の振る舞いを思い返す。
「いつの間にか張り合わされてる」
「何のために張り合ってるんだろ」
勝ち負けじゃないのに。
わかっていても、自分の持ち物と相手の持ち物を
比べようとする。
今も昔も隣の芝生は青々と茂り、
自分の庭はますます息苦しい。
正解はなく、得点は入らず、負けたと思ったほうが負ける。
これがサッカーだったらたまらない。
延々と走り続ける苦しい試合だ。
「主人公」
この衝突は、しかしミナ子とタエ子に変化をもたらす。
そして本書のまとめは、リナちゃんが担当だ。
『主』の文字が含まれた熟語を探すという宿題への、リナちゃんの
回答は、「主人公」だった。
これが、ミナ子とタエ子への、そして読者への素敵なヒントである。
正解はなく、勝ち負けもなく、ただ、一度きりの人生を主人公として
生きることができるかどうか。
「ほしいものは何か」と自分に問いかけるとき、答えられるかどうかは
そこにかかっている。
問われているのは、「与えて欲しいものが何か」ではなく、
「手に入れたいものが何か」なのだ。
「手に入れたい」と思うことは、手に入れるための行動の
小さくて大きな第一歩だ。
与えられることを待つあり方は、主人公に相応しくない。
読み終えてから、WEBのレビューを見に行ったら
「悩みは共感できたけど、解決法まで教えて欲しかった」
という書き込みを発見した。
作者の思いはすぐには届かなかったようだけど、でも、こうした作品が
必要とされている証拠だろう。
自分で決めて自分で選ぶ人生にちょっと疲れたら、ためしに
リナちゃんになって単純な問いを発しよう。
「ほしいものはなんですか」
いつの間にか、何のために生きるのかにまで
思いを馳せている自分に気づくだろう。
毎日考えていたら疲れてしまうけど、4年に一度くらいは
いいかも知れない。
これからの季節、眠れない夜に、おすすめです。
(松江妙子)
『ほしいものはなんですか』(ミシマ社)
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