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宮台 真司「社会システムの再構築を急げ」

2013年07月09日

宮台 真司 首都大学東京都市教養学部都市教養学科 教授  >>講師紹介
講演日時:2012年12月6日(木) PM6:30-PM8:30

宮台氏は、日本の民主主義が機能不全に陥り、運営困難となっている背景には2つの切り口があると指摘します。一つが「グローバル化による困難」であり、もう一つが「日本であるがゆえの困難」です。
グローバル化とは、端的には、ヒト・モノ、カネなどの資本が国境を越えて自由に移動できるようになることです。グローバル化は、新興国の経済発展を促進しますが、日本を含む先進国においては、貧困化や社会格差化が進みます。


実際、欧州では、新興国との競争によって国民の所得が低下し、企業や富裕層が海外に流出することを防ぐため、法人税や所得税の累進化税率が引き下げられてきました。結果として、全体的な税収が減少し、低賃金や失業によって生活に苦しむ国民から様々な要求が寄せられても、必要な財源が足りないという状況になっています。本来ならば、グローバル化への対処としては「小さな政府」を志向すべきです。しかしながら、大衆受け(ポピュリズム)を狙った「大きな政府」を主張する大統領が誕生し、財政建て直しの意思のない国だとして信頼を失い、国債・通貨の価値が低下したことが欧州危機の本質です。
そして、米国では、やはり貧困化・格差化の進展により、高額な医療保険に加入できない国民が4千万人以上存在しています。無保険者の彼らを放置すれば、社会を揺るがす大きな不安要因となるため、日本のような「国民皆保険」を目指す「オバマケア」が推進されています。しかし、米国の従来の個人主義的な考え方は、「本人の不摂生の結果として病気になったのは自分の責任である」というものです。したがって、オバマケアは、こうした米国精神に反するとして大規模な違憲訴訟も起きており、先の大統領選挙における主要な争点の一つとなりました。
このように、切り口の一つ、「グローバル化による困難」について、グローバル化への対処と民主主義との両立は困難をもたらしていることを、欧州と米国の例を引きながら説明されました。
次に、「日本であるがゆえの困難」について、宮台氏によれば、大きくは2つの問題に分けることができます。一つは、「エリート層が抱える問題」です。宮台氏は、戦前の日本の軍事体制を具体例として挙げました。陸・空・海軍のそれぞれの上層部はエリート中のエリートでした。しかし、それぞれが所属する組織の権益を最優先し、全体最適化の視点に欠け、軍備品等の規格は陸・空・海軍バラバラで互換性がありませんでした。また、客観的な現状分析に基づく政策立案は行なわれず、むしろ上層部の方針に基づく政策立案ありきで、政策に沿うように現状のほうが歪められていたのです。戦後も、エリート層による権益重視のデタラメな政策立案は変わっていません。原子力行政もそうでした。原子力発電を推進するという政策方針ありきで、現状が都合の良いように変えられていたことは、昨年の福島原発事故以来、より一層はっきりしてきています。
もう一つの問題は、「非エリート層が抱える問題」です。日本においても貧困化・格差化が進み、中間層が破壊され、共同体が空洞化しました。このため、共同体から孤立化した個人=「剥き出しの個人」が、より感情的に反応する様相を見せています。宮台氏はこれを「感情的な噴き上がり」と呼んでいますが、尖閣諸島問題や竹島問題への政府の対処に見られるように、感情的な世論を支えに、政治がしばしば暴走するようになってきているのです。
さて、そもそも、日本の民主主義の困難の根底には、「自立した共同体」が存在していないことがあると、宮台氏は主張します。欧州においては、中世の都市国家にもみられるような共同体自治の長い歴史があります。米国も、英国から逃れた清教徒のピルグリムファーザーズたちが、アメリカという新天地において信仰に基づく共同体を形成するところから始まっています。ところが、日本の場合は明治時代に、自然に形成された集落=「自然村」が解体され、行政統治の手段としての行政村に再編されました。こうして、時には国家と対峙する中間的な集団としての共同体が失われ、行政に依存する共同体となってしまったのです。このため、「共同体全体主義」と呼べるものが日本には蔓延していると宮台氏は指摘します。たとえば、学校で発生するいじめ事件では、いじめる側の子供の親が有力者だった場合、学校も、いじめられる側の親も、共同体全体の空気に支配されて何も言えない状況になっているのです。
さて、宮台氏は、丸山眞男の理論をベースにして、「依存的な共同体」は共同体的な全体主義に陥り、「依存的な個人」をもたらし、最終的に、「デタラメな民主制」をもたらすという論理展開を示しました。こうした「全体主義」の対極にあるのが、「トックビル主義」です。トックビル主義では、「自立した共同体」が「自立した個人」をもたらす、そして自立した個人が「妥当な民主制」をもたらすという論理展開になります。丸山眞男は、自立した共同体が存在する欧米、とりわけアングロサクソン社会を理想化しましたが、昨今のグローバル化の進展に伴う貧困化により中間層が没落、共同体の空洞化が進んだことから、欧米でも、感情的な反応を示す剥き出しの個人に影響を受けた「デタラメの民主制」に向かっていると、宮台氏は考えています。
では、デタラメな民主制をどうやって妥当な民主制へと立て直せばいいのでしょうか。
前述の論理展開に基づけば、以下のようになります。
依存的な共同体を自立的な共同体にシフト
 ↓ (それによって)
依存的な個人を自立的な個人にシフト
 ↓ (それによって)
デタラメな民主制を妥当な民主制にシフトさせる
すなわち、妥当な民主制へと立て直す処方箋のポイントは、「自立的な共同体」を樹立することだと宮台氏は強調します。そして、宮台氏によれば、自立した共同体樹立のためには、「社会構造」を変えることから始めなければならないと考えています。丸山眞男は、欧米のような自立した共同体を目指すべき、という「べき論」を展開しましたが、こうした考え方=「心の習慣」は簡単には変えられません。したがって、社会の構造を変えることで、心の習慣を良い方向へ強制的に変えることが有効な策なのです。
社会構造をどのように変えるかについては、まず「参加」に向けた設計があります。これは、「任せて文句たれる作法」から「引き受けて考える作法」へ、また、「空気に縛られる作法」から「理性を尊重する作法」へと心の習慣が変わるような仕組みづくりです。すなわち、「政治が悪い」「社会が悪い」などと感情的に批判するのではなく、当事者として理性的に問題に取り組んでいけるようにすることです。
もうひとつは「包摂」に向けた設計です。これは、共同体の空洞化により、寂しく鬱屈した意識や不遇意識を抱き、知識社会から排除された人々を「承認」し、また「囲い込む」ような心の習慣を形成できる仕組みづくりです。不遇意識を持ち、知識社会から排除された人々は、社会学では以前から危険な存在としてみなされたきた「剥き出しの個人」です。彼らは、「認められたい」という思いを抱いて右往左往しており、しばしば、付和雷同的な感情的噴き上がりを起こし、また、極端なクレーマーとなって社会を揺るがします。そこで、まず、彼らを「認めてあげる」ことが必要なのです。そしてまた、彼らの極端な意見は、共同体の総意ではないから、社会として対応しないでもよい、つまり良い意味で無視できるように「囲い込む」ことができることが必要なのだそうです。
そして、上記のような社会構造へと変えていく具体的な方法が、ワークショップや公開討論会での「熟議」、そして「住民投票」です。「熟議」は、討議とは異なります。熟議の典型的な流れとしてはまず、国や自治体、企業などが情報をすべて公開すること。(隠された情報やデータがあってはいけません)次に、主要な論点について、賛成側、反対側それぞれの専門家同士で討論させ、質疑応答を行なうこと。最後に、専門家や議会などに任せることなく、当事者である住民が話し合い「住民投票」で結論を出すのです。宮台氏によれば、熟議を行なう前と行なった後では、住民の総意=世論が大きく変わるのだそうです。なぜなら、どんなテーマであれ、十分な情報が開示された上で、賛成、反対の両方の視点からの意見をじっくり吟味することで「完全情報化」が達成されるからです。多くの場合、世論はリベラル化し、妥当なところに落ち着きます。一方、情報がすべて公開されていない状態、つまり不完全情報の状態においては、極端な主張、断固とした意見や主張に付和雷同的、感情的に流されがちで、「集団的な極端化」を起こします。これが、ポピュリズムに支えられたデタラメな民主制を生み出すことにつながるわけです。
十分な情報公開と多様な視点の専門家の意見を踏まえた熟議によって、当事者である住民が自ら決定する方法は、昨今の医療における「インフォームドコンセント」や「セカンドオピニオン」と類似したやり方だと宮台氏は指摘します。従来、患者は、「手術をすべきかどうか」といった決定を担当医師に全て任せていました。患者が、自分の病状についての詳しい情報を教えてもらうことはできませんでしたし、担当医師の見識や技量を評価する機会もなかったのです。しかし、現在は、自分の病状についての情報の開示を受け、他の医師の意見を「セカンドオピニオン」として聴いた上で、専門家ではない患者が熟慮の上、ある治療を受けるかどうかなどを自ら納得した上で決めることができます。
宮台氏は、熟議の上での「住民投票」を提唱する目的として、2つ挙げています。まず、日本だけに存在する「巨大なフィクションの繭」を破壊することです。原子力発電で言えば、「絶対安全神話」「全量再処理神話」「原発安価神話」などです。これらは、十分な情報を客観的に分析すれば、すべてありえないフィクションであることが既に証明されましたが、まだまだ公開が不十分なまま存在しているフィクションが多数残っています。もうひとつは、世代などで分断された地域共同体の統合です。世代間の対立や、またどこの地域にも見られる、旧住民と新住民の対立は、ワークショップ、公開討論会を通じた「参加」と「包摂」により克服が可能です。すなわち、情報公開が、フィクションの繭を破壊し、熟議を通じて分断が破壊されるということです。
また、宮台氏は、自立的な共同体づくり、すなわち共同体自治に必要なのは、強力な「価値」と徹底した「リアリティ」だと主張します。当事者たる住民による共同体自治がなぜ良いのかという理由を明確に価値として示すだけでなく、共同体自治の目的にどのように近づけるかという具体的な手段をリアルに提示、実行に移せなければなりません。
最後に、宮台氏は、都市、地域、社会を我々のものにすること、そのために強力な「価値」と、徹底した「リアリティ」をシェア(共有)することを提案しました。そうでなければ、私たちはグローバル化が進む世界において生き残れないからです。

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