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夕学レポート

2023年10月23日

尾身 茂氏講演「コロナとの闘いを振り返って」

尾身 茂
公益財団法人結核予防会 理事長
元 新型コロナウイルス感染症対策分科会 会長
講演日:2023年10月13日(金)

尾身茂

尾身茂氏に聴く、「自分の役割を果たす」ということ

「ここに『時代の“潮流と深層”を読み解く』とあります。今日は講演でその役割を果たしたいと思います」
時代の“潮流と深層”を読み解く。それは、この夕学講演会が夕学五十講として始まった当初からの一貫したコンセプトであり副題である。しかし講演の冒頭でわざわざそのことに言及した講師はあまりいなかったと思う。
加えて「役割を果たしたい」という言葉。そこには、いまや日本の誰もが知る尾身茂氏の、メディアを通して伝わってくる“潮流”と、その陰でほとんど知られてこなかった“深層”の、双方を通底する哲学があった。

演題は『コロナとの闘いを振り返って』。
この三年余りのコロナとの闘いの濃密な記録は、先日刊行された著書『1100日間の葛藤 新型コロナ・パンデミック 専門家たちの記録』の中に詳述されている。講演ではそのエッセンスが語られたが、本には書かれなかった話題もいくつかあった。
「まずは2020年2月の状況から」と言って示された二枚の写真もそのひとつである。

一枚目は韓国の疾病対策庁・緊急対策本部。広いスペースに数十台のデスクトップPCが並び、揃いのビブスを着けた本部員たちが壁面の巨大モニターを通してリモート会議をしている。この緊急対策本部は2015年、MERSコロナウイルスの流行を受けて設置されたものだ。当然、2020年の新型コロナウイルスでも初動対応から機能している。準備万端である。

二枚目は日本。普通の会議室に、私服で雑然と座る十数名の人々。持ち込みであろうノートPCのまわりに紙の資料が散らばる。しかも彼らはみな外部の専門家であって、厚労省の職員ではないという。
これが、世間の関心がまだクルーズ船に向いていた頃の、日本の「対策本部」の実状だ。
国としての出遅れ感は明らかだ。彼我の差はどこから来たのか。

日本にも備える機会はあった。
2009年の新型インフルエンザのパンデミックに際し、尾身氏は内閣官房の諮問委員会で委員長を務めていた。一連の対応が終わった後、その反省を提言の形で残した。だが提言は実行されないまま、日本は2020年からの新型コロナのパンデミックを迎えた。

厚労省の職員がクルーズ船対応に忙殺され、社会も政府も先の見通しを持てないでいたこの頃、専門家たちはすでに独自にデータを収集し分析していた。
2003年に流行したSARSコロナウイルス等と違い、新型コロナは無症状の潜伏期でも他人に感染させてしまう。そのため、発症したら隔離するという従来の対応では抑えきれない。国内でも大流行となることは不可避であった。
また、感染経路を辿って調べても、感染者の5人に4人は他人に感染させていないことがわかった。その代わりごく一部のスーパースプレッダーから、三密な状態で多くの感染者が生まれていた(クラスター感染)。
そういった、それまでのウイルスとは明らかに異なる特徴を、日本の専門家は世界に先駆けて見抜いていた。

専門家の取りまとめ役として尾身氏は、得られた知見から、対策についての「見解」を政府に提出した。2020年2月24日のことだ。
専門家の「見解」を踏まえて政府が政策を決定し、マスコミを通じて国民に伝える。
そのような役割分担を思い描いていた尾身氏だったが、実際にはマスコミの要請を受けてその日のうちに自ら国民へ説明するところとなった。
ここから、「政治家や役人の代わりに専門家が国民に説明する」というスタイルがしばらく続くこととなる。

この頃、政府は何をしていたか。
2月末には「全国臨時一斉休校」の要請がなされた。4月初めにはいわゆる「アベノマスク」の全戸配布方針が出された。いずれも効果が疑問視された政策だ。
これらの政策は、専門家と協議することなく政府が独自に打ち出したものだという。
政府もまだ、専門家との付き合い方がわかっていなかった、混乱の時期だと言える。

感染が拡大する中、世界の国々はそれぞれに対応方針を定めていった。
中国のようにゼロコロナ政策を掲げ強権的に「封じ込め」を図る国もあれば、スウェーデンのように感染流行を抑制せず重症者対応に特化する「被害抑制」策を採る国もあった。
その中で日本が採ったのは、感染を抑制し死亡者数を一定数以下に留める「感染抑制」策。
中庸とも言えるその策は、しかし日本政府が最初から意図して実践したものではない。
初動対応が適切に取れない時期に、尾身氏ら専門家が「前のめり」になって知見と対策を発信したことで、結果的に歩むことになった道筋であると言えるかもしれない。

第一回の緊急事態宣言は2020年4月7日に出された。
その前日、尾身氏は、当時の安倍首相と初めて顔を合わせ、宣言の発出を具申した。
この宣言は翌月に解除されるが、そこへと至るやり取りの中で、専門家と政治家の関係も尾身氏が当初思い描いたものに徐々に近づいていったようだ。

お互いに距離感を探りながら、専門家と政治家の二人三脚は、次第に安定していく。
感染規模を一定程度に抑制して、医療崩壊を防ぎつつ、経済への影響も最小限に抑える。
医療が逼迫すれば緊急事態宣言を出して人流を抑制し、医療負荷が減じたら抑制を緩め社会経済活動を回す。
幾度かの流行の波を、日本は、この繰り返しで乗り越えていった。

その後、2度の首相交代、2021年の東京オリパラ無観客開催などを経て、2023年5月に新型コロナの位置づけは季節性インフルエンザと同じ「5類感染症」に変わった。政府は9月に「内閣感染症危機管理統括庁」を発足させ、専門家の会議体を縮小。尾身氏も退任した。

客観的に見れば、日本の新型コロナ対応は、世界の中でも成功した部類に入るだろう。
人口当たりの死亡者数は欧米諸国の数分の一に抑えられた。特に、流行初期に欧米で起こったような感染爆発と医療崩壊は回避された。一方、経済の落ち込みは欧米並みにとどまった。
成功の理由を尾身氏は、「保健医療機関関係者の献身的な努力」「一般市民の協力」「政府・自治体による状況に応じた行動抑制と緩和(ハンマー&ダンス)」にあったと評価する。

もちろん対応全般に問題がなかったわけではない。今回も数多くの課題が残った。
そのうちの一つが「専門家と政府の関係の不明確さ」である。

両者の本来の役割を、尾身氏は次のように位置付ける。
・専門家の役割:リスク評価とそれに基づく対策案の政府への提案
・政府の役割:対策案の採否の決定、不採用時の説明、対策の実施とフォローアップ

ところが実際は前述のように、専門家の見識を踏まえずに政府が決定することがあった。
また尾身氏のような専門家自身が政府に代わって国民に直接説明することで、専門家が政策を決定しているのではないかという疑念を招くことにもなった。実際には、採用されない提言も多々あったということであるが。

政府が専門家の提言を採用しないこと自体を、尾身氏は否定しているわけではない。
政府は、経済への影響など他の側面も含めて総合的に判断するのが役割である。専門家の提言を受け容れないということは当然ありうる。
逆に、政府が総合的判断を逡巡すれば、専門家が経済的影響まで忖度して提言をすることにもなりかねない。これは健全な関係とは言えない。

2009年までの十年間、尾身氏はWHOのアジア地域責任者を務めた。各国の要人と渡り合い、「リーダーとは何か」を常に考える日々の中で、辿り着いたリーダー像があるという。
「リーダーは、迷いながらも判断する。難しいからと判断しないのはリーダーではない」
専門家たちのリーダーとして、専門家と専門家、専門家と政府、そして政府と国民をつなぎ、迷いながらも判断をし続けた尾身氏。
『1100日間の葛藤』を耐えて駆け抜けたこのリーダーの存在がなければ、この国のこの三年間は、今とは全く違った形になっていたかもしれない。

自らの役割を果たして、尾身氏は表舞台を去る。
しかし新たなパンデミックはいつか必ずやってくる。
いや、パンデミックに限らず、どんな形の危機が次にこの国を襲うともわからない。
いつかわからないその時に、専門家と政府がお互いの役割を果たせるように、今のうちに備えておくべきことは多い。

最後に尾身氏は、専門家でも政治家でもない私たちにも課題を投げかけた。
「このようなパンデミックに際して、感染抑制と社会経済への影響をどう両立させるのか。さらに言えば、個人の自由と公共の福祉、どちらをどこまで守るのか。その本質的な議論を平時からしておくこと。普段と違う危機の状況、たった一つの正解がない状況でも、このレベルで、この幅の中でバランスさせよう、という国民的理解があることが、“次”の対応を成功に導く鍵となる」

コロナは私たちに多くの災厄をもたらした。でもそこから適切に教訓を汲み取り次の危機に活かせるのなら、コロナも一種の“ワクチン”となりうる。
多種多様な価値観を持つ自由を尊重するこの国で、生と死にかかわる社会的合意を形成することは、思いのほか難しいことかもしれない。それでもその困難に向かって歩き出すこと、迷いながらも前に進むことが、私たちひとりひとりに課せられた果たすべき「役割」である。

(白澤健志)


尾身 茂(おみ・しげる)

尾身 茂
  • 公益財団法人結核予防会 理事長
  • 元 新型コロナウイルス感染症対策分科会 会長

1949年東京都生まれ。1978年自治医科大学卒業後、地域医療に従事(東京都立墨東病院研修医、伊豆七島院勤務医等)。1990年から世界保健機関(WHO)西太平洋地域事務局に勤務。1999年に同事務局長に就任し、重症急性呼吸器症候群(SARS)対策などの陣頭指揮を執る。2014年地域医療機能推進機構理事長を経て、2016年に国連総長からの要請で国際健康危機タスクフォースのメンバーに就任。2019年の新型コロナウイルス感染症に伴い、2020年新型コロナウイルス感染症対策専門会議の副座長、新型コロナウイルス感染症対策分科会の会長を務めた。2022年には公益財団法人結核予防会理事長に就任し、健康課題の解決に尽力している。専門は国際保健、感染症対策。

公益財団法人結核予防会ウェブサイト:https://www.jatahq.org/

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