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林 望 「私的 芸術生活のすすめ」

2005年11月08日

林 望 作家 >>講師紹介
講演日時:2003年12月11日(木) PM6:30-PM8:30

リンボウ先生でおなじみの作家、林望氏のお話は、その洒脱な文章をほうふつさせる、含蓄に富む内容だったと思います。林氏は二つの重合唱団を主宰、ご本人はバスパートを担当されていますが、ご講演の内容もさることながら、重低音でよく響く、深みのある美声が印象に残りました。


林氏は、結論からズバリと切り出します。結論、つまり、今回の講演で強調したいことは、「個」というものの確立である、という点です。林氏自身、自分という「個」を確立するため、50歳になった4年前に、国立大(東京藝術大学)の教官という、社会的にステータスの高い身分を投げうち、筆一本で生活する道を選択したのです。
さて、イギリスでの生活も経験されている林氏は、日本と西洋での「個人」と「組織」の関係に明確な違いがあることを実感されています。西洋では、まず「個人」がある。その個人が束ねられたものが「組織」であるという考え方が原理としてあるそうです。つまり、「個人」が第一優先ですし、「全体は一人のために、一人は全体のために」というように、個人と組織には双方向の関係があります。一方、日本では、個人はひたすら組織に奉公する存在であり、「個」が認められないのです。林氏によれば、会社の転勤制度などは人権侵害もいいところです。当人の意向も聞かず、会社が勝手に転勤先を決めるからです。
また、日本では休日の制度が変わって3連休がやたらと増えました。こうして国全体として一斉の休みを取らせるのも、林氏にとっては「よけいなお世話」です。なぜなら、同じ時期にみんな休むと、ビジネス的には不能率な面が出てきますし、どこにいっても混雑しているという羽目に陥ります。これだけ休みがある上に、さらに有給休暇を取ろうとすると、周囲から白眼視されてしまうでしょう。しかし、イギリスでは、国民の祝日は年10日以下です。しかし、個人それぞれが自分の休みたい時に、数週間の休みを取る。林氏は、この方が個人にとってはより好ましい生き方ができるのではないか、と考えています。
さて、林氏は、宮仕えを辞めて、「個」として生きることが、日本ではどれだけ不利か、ということを身を以って知りました。定年まで勤めれば、おそらく数千万円の退職金がもらえたのに、定年前で辞めてしまうと、林氏の言葉を借りれば“懲罰的に”わずかしかもらえません。また、作家という自由業に対しては、銀行はお金を貸してくれません。「個」として生きていくのは実に厳しいのです。それでも、そんな不利な立場になることをわかっていながらも、林氏は独立を決意します。
「人生は短い、アートは長い」という箴言を引きながら、林氏は、50歳の時に考えたことを語ってくれました。自分はいつまで生きられるのかわからない、明日死ぬかもしれない、仮に70歳まで生きたとしても、定年の63歳からではあと7年しか残っていない。50歳からなら、あと20年間ある。この20年で自分がやりたいことをやろう。こうして、書きたいことが山ほどあった林氏は、作家として生きていくことにしたのです。
林氏は、きわめて多忙な日々を送っています。年に6冊くらいのペースで本を出しながら、同時に毎月10本以上の連載を抱えるため、3日とあけずに原稿締切がやってきます。また、国文学が専門の林氏は国文学の基礎にある能楽(謡曲、つづみ、仕舞、笛など)の稽古を若い頃からやっていましたが、さらに声楽の勉強を10年以上続けています。声楽を習うに当たっては、東京藝術大学の教官の職は声楽の先生を見つけるのに「渡りに船」だったようです。
このような、自分のやりたいことをやるために、林氏は徹底した自己管理を行っています。病気になるかもしれないタバコや、暇つぶしのギャンブルはやりません。酒は下戸で飲めないこともあって、いわゆるパーティ等にも一切参加しません。東京藝術大学退官時に、ご本人のために企画された送別パーティにも「参加しない」と明言されたそうです。
さすがに、ここまで周囲に流されない生き方は驚嘆せざるを得ませんが、結局のところ、林氏が大切にしているのは「時間」なのです。「時間をどのようにマネージするか」が重要だと考えているのです。人は生まれながらに不平等ではありますが、たった一つ、「時間」だけは平等に与えられています。しかし、金は天下の回りモノ、と言うように、失ったお金は取り戻せるけれども、時間は取り戻すことはできないのです。だから、やりたいことで一杯の林氏にとっては、意味のない時間、内面的にためにならないことに時間を費やしたくないということなのです。
こうした生き方を貫かれていることの理由として、林氏の作家としてのデビューは41歳であり、スタートが遅かったことがあるそうです。スタートが遅い分、残された時間があまりない。だから、時間をいかに無駄にしないかを考えてきたのです。ただ、同時に林氏は、何事も始めるのに遅すぎるということはない、という確信もお持ちです。ご自身も、楽譜を初見で歌う練習を続けた結果、かなりのレベルまで上達され、始めるのが遅いから無理だと言われた声楽の先生を驚かせています。あきらめず繰り返し練習を続けると、間違いなく上達するということを体験されたわけです。また、同時に、テクニック的にうまくなることよりも、「個々人の持ち味(個性・ヒューマニティ)」の大切さも強調されました。音楽にしろ、絵にしろ、うまいかどうか、つまりテクニック以前に、「心」を磨くことが必要なのです。
ところで、お酒の席にはまったく付き合わない林氏に対して、「人生の半分を失っている」と言う人がいるそうですが、林氏は、「あなた方が酔っ払っている間に私は倍の時間を生きていますよ」と言い返すそうです。
林氏の話を聞くと、「個」を確立する生き方は、確かに簡単なものではなさそうですが、それによって林氏が成し遂げられようとしている数々のことを見ると、ぜひ爪の垢を煎じて飲ませていただきたいものだと思いました。

主要図書
イギリスはおいしい』文藝春秋(文春文庫)、1995年
文章術の千本ノック』小学館、2000年
「芸術力」の磨き方』PHP研究所(PHP新書)、2003年

推薦サイト
http://rymbow.hp.infoseek.co.jp/ (Rymbow Live!)

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