HOMEへ戻るMCCマガジン千住 明 「クリエイティビティーのある人生を」

千住 明 「クリエイティビティーのある人生を」

2007年01月16日

千住 明 作曲家 >>講師紹介
講演日時:2006年11月14日(火) PM6:30-PM8:30

ヴァイオリンの優雅なメロディが印象的な音楽をバックに、千住明氏が登壇されました。もちろん、作曲者は千住氏ご本人です。千住氏によれば、この曲は、2004年に開設された羽田空港第2ターミナルで流れているものだそうです。


ご存知の方もいらっしゃると思いますが、千住明氏のお兄さんは、日本画家の千住博氏。また、妹さんは、ヴァイオリニストの千住真理子氏です。第2 ターミナルには、兄、千住博氏の手による和紙でできた巨大な滝の絵が展示されています。博氏は、明氏に対して、「和紙は1000年持つのだから、音楽も 1000年持つものを書いてくれ」と鼓舞されたそうです。明氏はそう言われてずいぶんプレッシャーを感じたそうですが、講演会場で聴いた曲は、1000年後も古さを感じさせないと思わせる素晴らしいものでした。実は、この曲のヴァイオリンを弾いているのは千住真理子氏です。兄弟3人が共演したのは、羽田空港の仕事が初めてのことだったそうです。
さて、千住氏は、東京芸術大学作曲科、および同大学院でいわゆる正統派の純音楽を学び、優秀な成績で卒業されています。しかし、芸大在学中から、幅広いジャンルの音楽を手がけてきました。以前は、クラシックとポップスは「あっち」と「こっち」の世界と言われ、超えてはいけないとされていましたし、今でもそうした考え方は残っています。しかし、千住氏はクラシックもポップスも好きなことから、周囲の反対を押しのけながら両方のジャンルを手がけることを通じて、間にあった垣根を取り払ってきたという自負があるそうです。
そもそも千住氏が、音楽の世界で生きていこうと思ったのは中学の頃でした。ただ、慶應幼稚舎からずっと慶應一筋でしたし、このままエスカレーター式に上まで行くのが楽だと考えて、大いに青春時代を謳歌されたようです。でも、慶應大学入学にあたってはずいぶん悩みました。というのも、慶應大学には音楽科がなかったからです。結局、コンピュータ音楽や人間工学の面から音楽を研究できる工学部(現理工学部)に進学を決めます。
しかし、やはり1年生のうちに、自分は将来作曲家になるという決意を固めます。この決意を父に告げると父(慶應大学教授の千住鎮雄氏)は「それはよかった」と喜び、早速家族を集めて乾杯しました。乾杯の席で、父は「明の慶應の学籍を抜いてきた」といったそうです。千住氏は驚きました。なぜなら、千住氏自身は、慶應大学を卒業してから作曲家を目指してもいいかとも考えていたからです。しかし、もはや背水の陣、後戻りはできません。
当時父親に言われたことは、30歳まで時間をやる。もし芽がでなかったら、その時点で普通の大学に入り直せということでした。千住氏は、約10年の猶予期間をもらったわけです。千住氏にとって、必死に勉強して芸大に入学し、「ドレミ」から音楽の基礎をやり直した20代の日々はいわば「修行」であり、プロになるための必要なパスポートだったと考えているそうです。それまでは、いかに楽をするか、楽に生きるかばかりを考えていた千住氏でしたが、20代の修行期間を通じて緻密な性格に生まれ変わったと話されていました。
ところで、千住氏が、慶應を退学してから東京芸大に入学するまでの間に、千住氏の「音楽に対する基本的な考え方」に大きな影響を与えたエピソードがあります。当時、千住氏はさまざまなアルバイトをやっていました。ある時、長時間の仕事で疲れ果ていたために、食欲が出ずカップラーメンを食べていると、一緒に仕事をしている先輩から、米の飯を食べないとだめだと言われたそうです。そして、自分の弁当を半分、千住氏に分けてくれたのです。そこまでされたら、千住氏も食べないわけにもいきません。しかし、後で知ったのですが、そのおじさんの弁当はお昼と夜の2回分でした。つまり、自分の夜の分を千住氏に食べさせてくれたのです。
そのおじさんは、字もろくに読めない人でした。このため、千住氏は、おじさんに頼まれて自分が持っていた漫画を読んであげることもあったのです。千住氏は、このおじさんとの出会いを通じて考えたことがありました。それは、自分は、こうした人々に届く音楽を一生書いていこうということ。逆に、決して独りよがりな音楽を書くまいということ。そして、音楽はもうひとつの言葉、つまり、音楽という共通言語による他者とのコミュニケーションであり、音楽は、誰かに聴いてもらって初めて命を持つのだということです。千住氏が今に至るまで重要だと考えてきた音楽に対する基本的考え方は、若い頃のアルバイトを通じて生まれた部分が大きいのです。
さて、千住明氏、そして、兄の博氏、妹の真理子氏がそれぞれ各分野の第一線で活躍するアーティストとして大成した背景には、両親の存在が大きいようです。明氏によれば、子供が没頭するほど熱中できるものを見つけることができたら、なんでも許してあげるといった家庭環境で千住兄弟は育てられたそうです。
慶應大学の教授であった父、鎮雄氏は、子供たちと遊ぶより本を開いているような生真面目な人だったそうですが、管理工学科開設に尽力されたことからもわかるように、新しい分野に挑んだパイオニアでした。一方、父とは対照的に母親は、感情豊かに子供たちを育ててくれました。
千住氏は、父、鎮雄氏がいつも自分たちに言っていた言葉をいくつか紹介してくれました。

  • 人生はロングレースである。決して焦ることはない。(30歳からでもやり直しできる)
  • 人生には何度か、重要なキーがやってくる。やってきたと思ったらすぐにキーを開けなさい
  • 誰もいない、空いている電車に乗りなさい。電車が混んできたら、空いている別の電車に移りなさい(常に新しいことにチャレンジしなさい)
  • 結果は、才能×努力である。ただし、才能にはたいした差はない。普通の人の才能が1.0だとして、才能がある人でも、せいぜい1.1か1.2くらいのものだ。(つまり、努力することの方が重要)

千住氏が、慶應大学の1年生で作曲家になると決めた時、鎮雄氏が早速学籍を抜いてきたのは、それが千住氏にとって重要なキーだとわかっていたからでしょう。
東京芸大在籍中から千住氏は、ドラマや映画、TVコマーシャルの音楽など、依頼を受けて作曲する「オーダー作家」として仕事を始めました。わずか 2~3週間で50曲を作らなければならないといった、「死んだ気」で取り組まないと間に合わない仕事を受けることがあります。もちろん、寝る時間もなく、真っ赤な目をして仕事するのは大変だそうですが、同時に「生きてて良かった」という充実感、やりがいを味わっているのだそうです。自分のやりたいことがやれているという喜びなのでしょうか。ただし、さすがに最近は、多少仕事量を調整して以前ほどは無理をしないようにしているそうです。
講演中は、羽田空港のBGM以外にも、テレビドラマ「砂の器」の劇中曲であった「宿命」などの千住作品を聞かせていただきました。すばらしい音楽と、千住氏の音楽に対する深い思い、そしてまた誠実なお人柄が伝わってくるお話に大いに感動しました。

主要著書
音楽の扉』 時事通信社、2003年

推薦サイト
千住 明 公式サイト

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