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夕学レポート

2008年02月07日

山内昌之「国はなぜ滅んだか~嫉妬の世界史に学ぶ~」

山内昌之 東京大学大学院総合文化研究科 教授 >>講師紹介
講演日時:2007年11月29日(木) PM6:30-PM8:30

山内昌之氏は、世界史に残る様々な出来事の背後には、その出来事に関係した英雄やリーダーたちが持っていた「嫉妬心」があったことを具体例により示し、嫉妬が歴史を動かすことを教えてくれました。
山内氏が嫉妬された歴史の人物として最初に例としてあげたのは、赤穂藩藩主・浅野内匠頭(たくみのかみ)と、吉良上野介(きらこうずけのすけ)の間の確執でした。「忠臣蔵」でおなじみの場面、江戸城松の廊下で浅野が吉良に切りつけるという刃傷沙汰まで起こした背景には、浅野の吉良に対する根深い嫉妬があったのです。それは官位(官職と位階)から読み解くことができます。ひとつは、「高家」(こうけ)という名門の出身である吉良は、将軍家直属の家臣である「旗本」にすぎないにもかかわらず、一国の主である浅野をはじめとした大名よりも官位が高かったことです。もうひとつには、官職を任命するのは朝廷の仕事でしたが、それを代理としてやっていたのが吉良家でした。つまり、浅野は吉良に二重の屈辱感を抱いていたわけです。これが、相手を斬りつけるまでの強い嫉妬心を育んだということのようです。


また、山内氏によれば、優秀な家臣、部下たちに対して嫉妬するリーダーも世界にはたくさんいたということです。
アジアにまで広大な領土を広げたことで知られる古代マケドニア王国のアレクサンドロス大王も、どうやら部下に大変嫉妬していたようです。こいつは戦術が巧みである、あいつは統率力がある、勇敢であるといったように、それぞれ自分よりも優れた点を見つけては嫉妬していました。ただ、これは、それだけ部下の優れた点を見抜く力があったという見方もできます。
幕末の薩摩藩における事実上の最高権力者であった島津久光もまた、西郷隆盛に対して強い嫉妬心を持っていたと考えられます。久光自身は薩摩藩の当主でもなく、無位無官の身でしたが、大変優れた人物であったことには違いありません。西郷の力量に頼り彼をうまく活用しています。それでも、ある時、久光が兵を率いて京都に上洛して政治的な改革をしたいという計画を西郷に話した時、「斉彬(なりあきら)様ならできたかもしれませんが、“地ごろ”の久光さまには無理でごわす」とストレートに言われてしまったことを25年もの間、忘れることがなかったほど西郷を嫌っていたのです。“地ゴロ”とは薩摩の方言で「いなかもの」という意味です。
これは前任者に傾倒するする人は嫌うという例でもあります。
そのほかにも、レーニンの後継者スターリンは、ソ連の軍隊をゼロから作り上げた天才的な軍人、トゥハチェフスキー将軍に嫉妬し、最後には粛清してしまっています。トゥハチェフスキーは貴族の出、一方、スターリンはブルジョア出身でした。
こうして示された歴史上の人物の嫉妬を生み出している根底には名門・エリートとたたき上げ、あるいは天才と努力家といった乗り越えられない壁の存在があるようです。山内氏は、リーダーや経営者の役割は、優秀な人間を見出して後継者として育てることにあると考えていますが、これを妨げるのが「嫉妬心」です。リーダーの理想論として、能力と人間性のバランスが取れていることは言うまでもありませんが、現実は難しいことが歴史から読み取れます。
ところで、日本の官僚制は、嫉妬を最小化するものとしてはよくできた仕組みだと山内氏は言います。同期が次官になれば、他の者は全員職を辞するのが慣例です。この仕組みだと、ある意味「仕方がないか」とういうあきらめがつくということなのです。また、日本の場合、有名人、芸能人、スポーツ選手、企業家として成功した人に対する嫉妬心があまりなく、主に官僚に向けられるという点を山内氏は指摘していました。官僚の場合、「税金を使って・・・」というのがその背景にあると思われますが、庶民の嫉妬の対象について研究してみるのも面白そうです。
最後に山内氏は、高い能力を持ちながらも、周囲から嫉妬されることのなかった人物の好例として保科正之のことを話してくれました。徳川幕府第2代将軍・秀忠の4男でありながら、4代将軍・家綱を助け、先君への殉死の禁止を幕府の制度とした人物です。
彼は、余計なことを話さず、能力をひけらかさず、足るを知る人でした。結果的にそれほど歴史に大きな名を残してはいませんが、どうやら過剰な野心を持つことがなかったということなのでしょう。
「嫉妬」が生む負のエネルギーの凄まじさというのは、組織の中で生きるビジネスパーソンにとっても身近で、興味深いテーマであったと思います。
誰でも多かれ少なかれ持つ「嫉妬」ですが、国や世界をも揺るがす出来事の背景にあるということはある意味恐ろしいことです。歴史もまたしょせんは感情の動物である人間の営みの記録に過ぎないことを実感させるお話でした。

主要図書
嫉妬の世界史』新潮社(新潮新書)、2004年
歴史学の名著30』筑摩書房(ちくま新書)、2007年
歴史と外交』中央公論社、2007年
歴史の作法』文藝春秋(文春新書)、2003年
世界の歴史(20)―近代イスラームの挑戦』』中央公論新社、1996年

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