KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

私をつくった一冊

2022年12月13日

菊澤 研宗(慶應義塾大学商学部教授)

慶應MCCにご登壇いただいている先生に、影響を受けた・大切にしている一冊をお伺いします。講師プロフィールとはちょっと違った角度から先生方をご紹介します。

菊澤研宗

菊澤 研宗(きくざわ・けんしゅう)
  • 慶應義塾大学商学部教授

慶應MCC担当プログラム
  • agora講座「菊澤研宗さんがガイドする【名著探訪】」(2023年)

1.私(先生)をつくった一冊をご紹介ください


科学的発見の論理

科学的発見の論理 上
カール・ライムント・ポパー(著)、大内 義一(翻訳)、森 博(翻訳)
恒星社厚生閣
1971年1月
科学的発見の論理

科学的発見の論理 下
カール・ライムント・ポパー(著)、大内 義一(翻訳)、森 博(翻訳)
恒星社厚生閣
1971年1月

2.その本には、いつ、どのように出会いましたか?

この本は、1979年に慶應義塾大学商学部のゼミナールで輪読していた本です。それは、哲学者イマヌエル・カント、社会学者マックス・ヴェーバーの流れを汲む批判的合理主義者K・R・ポパーの科学哲学の本です。当時、「経済学や経営学は果たして科学なのか」という学問の反省の時期であり、とくにマルクス経済学批判が盛んに行われていた時代でした。私は、経営学のゼミに入っていたのですが、ゼミでは「経営学は科学なのかどうか」という問題が大きな関心となっていました。そして、この問題を問うためには、まずは「科学とは何か」を知る必要があり、そのことを知るために、ゼミの指導教授であった小島三郎先生が、当時、もっとも論理整合的だといわれていたポパーの科学哲学を、われわれに紹介してくれたというのが、この本との出会いです。これまで、私はたくさんの本を書いてきましたが、私のすべての著作の背後には、このポパーの批判的合理主義の思想があるといってもいいと思います。

3.どのような内容ですか?

この本で、ポパーは科学の方法論をめぐって、以下の3つの問題に答えています。
・科学的理論と非科学的理論を区別する境界設定基準は何か。
・科学的理論はどのような方法で発見されるのか。
・科学的理論はどのような方法で正当化されるのか。
これらの問題に対するポパーの回答は、いずれもわれわれの常識を覆すものです。とくに、第1の問題に対する答えは衝撃的です。ある理論が科学的かどうか。その境界設定基準は、その理論が経験的に真理として実証できる可能性があるという実証可能性ではなく、反証(テスト)できる可能性があるという反証可能性だと主張した点です。この背後にある考えは、不完全な人間は理論の真理を確定できないということです。つまり、われわれ人間は、「すべてのカラスは黒い」という自明の命題ですら真理として実証できないのです。というのも、この命題を実証するには、過去、現在、未来、そして宇宙にいるすべてのカラスを観察する必要があり、それは不可能だからです。ところが、この同じ命題は有限な数の白いカラスを発見できれば反証されます。したがって、われわれ人間にとって可能なのは実証による真理獲得ではなく、反証を通して絶えず知識を成長させること(真理への接近)だとポパーは考えたのです。

4.それは先生にとってどんな出会いでしたか?

このポパーの科学哲学との出会いは、衝撃的なものでした。あまりにも衝撃的で、大学の学部学生のとき、心理学の教授に心理学は反証可能性がないのではないか、科学ではないのではないか、と質問したりする悪い学生でした。また、私は大学では読書会を中心に活動する文化系のクラブに入っていたのですが、そこでも経済学部、政治学科、理工学部、そして文学部の後輩たちを巻き込んで、政治学は科学か、経済学は科学かと問い、このポパーの本をときには大学で、ときには喫茶店ルノアールの一室など借りて輪読し、激論したものです。本当に悪い先輩で、まさに古き良き時代の一コマです。そこに参加していた何人かは、いま大学の教員になっていると思います。

5.この本をおすすめするとしたら?

最近は、なんでもかんでも統計ソフトを使って実証する研究が流行っています。ビッグデータ、データサイエンス、エビデンスなどの言葉も流行っています。おそらくそのような活動が「科学的」だと思っているからだと思います。しかし、本当にそのような活動が科学的と呼びうるのかどうか。もし疑問をもっている人がいるならば、本書はおすすめです。私たちは言語や言明を使って世界を認識し、未来を推測し、過去に学び、そして互いに会話し、相互に理解していることをしっかり自覚し、何が科学的で何が似非(エセ)科学なのかを再確認できると思います。

菊澤研宗

菊澤 研宗(きくざわ・けんしゅう)
  • 慶應義塾大学商学部教授

慶應MCC担当プログラム

1986年慶應義塾大学大学院商学研究科博士課程修了。防衛大学校教授、中央大学大学院国際会計研究科教授を経て現職。その間、ニューヨーク大学スターン経営大学院客員研究員(1年間)、カリフォルニア大学バークレー校客員研究員(2年間)として在外研究に従事。専門領域は経営学、組織の経済学、比較コーポレート・ガバナンス論、ダイナミック・ケイパビリティ論。
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