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夕学レポート

2008年12月11日

「暗愁の意味と意義」 五木寛之さん

「ここ数年、世の中の風向きが変わってきた感じがします」
五木寛之さんは時代の変化から講演を始めました。
銀行・金融、IT・情報、病院・医療など、五木さんにとって、これまで無関係・無縁だった世界(五木さんによれば「迂遠」な世界)から講演を依頼されることが増えたそうです。
『大河の一滴』『他力』をはじめとして、人間のこころを見つめるエッセイを多く書いている五木さんに、「こころの話をして欲しい」という依頼です。
五木さんは、この現象を、「こころの病」が市民権を得たと表現されます。
「うつ状態」を「こころの風邪」という言い方をすることが増えました。風邪だから、軽い気持ちで医者(心療内科)に行き、薬で治せばいい。そんな考え方が若い人達の間に抵抗なく受け入れられるようになりました。
五木さんは、それを一概に否定するものではないとことわりながらも、「本当にそれでよいのだろうか」と疑問を投げかけます。
「こころの病」の根本には、「鬱(うつ)」な気分がある。やる気が起きない。ため息ばかりでる。未知なものへの不安などなど。
しかしながら、「鬱(うつ)」な気分とは、はたして病気なのだろうか。
「こころの病」というよりは、「こころが萎える(状態)」という言い方がふさわしいのではないか
「こころの萎え」は、人間誰しもが味わうことであって、病気ではない。
ましてや薬で治すものではないはずだ。 
五木さんはそう言います。


「鬱鬱(うつうつ)」という言葉を広辞苑で繙くと、【草木の盛んに茂っているさま。気分が盛んにのぼるさま】というのが第一義としてあります。
「鬱蒼たる森」「鬱然たる大家」「鬱勃たる意志」などの言葉は、いずれもエネルギーに満ち、躍動する生命感を感じさせるものです。
「鬱(うつ)」を、現象的に表現すれば、確かに、気分が落ち込み、萎えるということになりますが、その裏側には、じっとエネルギーを貯め、反転成長を期するために、人知れず力を蓄えるというプラスの意義があることを、かつての人間は知っていました。
戦後日本は、高度成長に心地よく酔いながら、いつしか「鬱(うつ)」が持つ本来の意義・意味を忘れてはいないだろうか。
それが五木さんの見方です。
五木さんによれば、世界中に「鬱(うつ)」的な言葉が存在し、いずれもプラスの意義を伴った使われ方をしているそうです。
中国には「悒(ゆう)」、韓国なら「恨(はん)」、ロシアには「トスカ」、ポルトガルでは「サウダーテ」、アメリカは「ブルース」etc。
いずれも、憂い、愁い、哀しみ、悲しみなどの意味を持ちながらも、人間はそこから逃げられないのだから、こころの中にしっかりと抱えて、目をそむけずに生きていくことの重要性を示唆する使い方がされているとのこと。
詳しい説明は、五木さんの新著『人生の覚悟』を是非お読みになってください。
それでは、日本語ではどうなのか。
五木さんは、すでに死語になり使われることのなくなった「暗愁(あんしゅう)」という言葉を教えてくれました。
古典を読んでみると、「暗愁」という言葉は、平安時代の知識層・文人墨客の間で盛んに使われていたことがわかるそうです。近代に入っても、若き森鴎外、夏目漱石などが小説の中で用い、伊藤博文、大正天皇は、「暗愁」を漢詩に詠んでいたとのこと。
「明治もまた、暗愁の時代であった」と五木さんは言います。
科学技術、社会システム、思想の全てにおいて、近代化の歯車が音をたてて回っていた時代であっても、私たちは、「暗愁」をしっかりと抱え、付き合って生きていくことの重要性を忘れてはいませんでした。
ところが残念なことに、昭和に入るとともに、「暗愁」という言葉が使われなくなりました。
「戦後60年は、暗愁なき時代であった」と五木さん。
その結果が、現在の「こころの病」現象につながり、過度のプラス思考を追い求め、ポッキリと折れてしまうような、こころの脆弱さを招いたのではないだろうか。
それが、五木さんの総括でした。
私は、「暗愁」の話を聞きながら、人間性心理学のカウンセリング技法として注目されている「フォーカシング」を連想しました。
自分のなかにある何か違和感に気づき、最初は言葉にできないものであっても、その“なんとなく感じるもの”に目を背けることなく、蓋をすることなく、見つめ、引き出し、そこにあることを感じ、“なんとなく感じるもの”と対話をしてみる。
それが「フォーカシング」です。
「フォーカシング」の提唱者で、夕学にも登壇いただいた明治大学の諸富祥彦先生は、簡便的「フォーカシング」として、「マイスペース」を持つことを奨めています。
静かに自分と向き合い、暗愁の存在を感じ取り、認めるための、自分だけの時間と空間。そんな小さな余裕を作ることからはじめるのがよいのではないでしょうか。
ちなみに、「フォーカシング」をじっくり勉強したい人は、こちらにどうぞ。
慶應MCCプログラム「自己成長のための心理学」

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