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ピックアップレポート

2023年06月13日

花田 光世「人的資本経営に対する私の提案:人的資産開発プロセスをモデルに組み込む」

花田光世
慶應義塾大学名誉教授

 2023年度中に、人的資本経営指標の公開が個別企業に求められています。人的資本の強化に対する個別企業の、対応の透明性が不十分であり、それが日本企業の競争力を弱めているという反省が起こり、経済産業省の指導により、人的資本経営指標の公開に向けて各社が懸命に努力を重ねている現状です。

 私は人的資本経営指標の公開に対して異議を唱えるつもりは毛頭ありません。ところが、現在各社が努力し、対応している動きに関しては強い懸念を持っています。その懸念をまとめると、以下の1~7をあげることができます。

人的資本経営指標の公開に関する花田の7つの考え方:

  1. 短期的な結果主義にならないか
  2.  人的資本経営指標には非財務指標を用いることが求められています。でも、実際に指標化となると、可視化され、測定可能な指標の活用に目がいき、また成果・結果を出さなければいけないとなると、90年代に吹き荒れた、短期的な結果主義・成果主義的な資本の論理が一人歩きする懸念を持っています。現場からやや離れた、経営人事がこの指標化を担当するとなると、どうしてもこの懸念が頭をもたげてしまうのです。非財務指標といっても、組織メンバー一人ひとりのキャリア自律・ダイバーシティ開発・新しい働き方の現場活動に接していないと、結局は使いやすい、財務的な視点からの指標化に傾いてしまう危険性があると危惧しています。一人ひとりの活動プロセスの積み上げ型の指標というよりは、マクロな既存の人事指標が修正され活用されてしまう危惧です。そしてそのような動きが実際に、見え隠れしているのです。また経営人事・人事企画部門が指標を設計すると、どうしても企業の中の勝ち組、エリート社員、能力の高い社員の活動把握といった点を重視する指標が作成されてしまい、現場を支える、いわゆるBクラス社員の努力、あるいはCクラス社員の成長に対応する指標などが軽視されてしまう傾向が出てしまうことを懸念します。

  3. 人事ベンダーの動き
  4.  それに拍車をかけているのが、人的資本経営指標を提案する人事ベンダーの最近の動きです。短期間のうちに指標の構築が求められており、面倒で手間暇がかかり、やっかいな活動の運用現場から離れている人事ベンダースタッフが提供する指標はどうしても、マクロな経営人事指標の活用になりがちであり、結果・成果が端的に見えるものになりがちであり、可視化しやすく、測定しやすい結果のまとめ的な財務指標をより活用する提案となってしまいます。例えば極端なことを言えば、離職率・定着率をエンゲージメントの度合いを間接的に表すものとして指標化するといった対応であったりしても、企業も十分な吟味をすることなく、ベンダーの提供する指標の丸のみの動きが出てきてしまっている状況があちらこちらで見られています。これで大丈夫でしょうか?

  5. 指標の公開ありき
  6.  人事ベンダーの提案の丸のみの要注意事項は、指標の公開ありき先行の動きです。言うまでもなく、指標は各種活動プロセスの結果としてのKPIであるべきです。そのKPIは、組織メンバー一人ひとりの能力拡大の努力、一歩の踏み出しを通したキャリア開発の結果としての資産の拡大、苦しいアンラーニングを通した新たなチャレンジといったダイナミックな行動プロセスなどの結果としてのKPIです。当然、一人ひとりの組織メンバーの現状打破の苦しい中での積極的な行動があっての指標の改善となり、そのようなプロセスとしっかりと連動されたKPI・指標があっての改善プログラムとなりますが、どうもこの実態プロセスを反映しきれず、プロセスとKPIが連動されていないことを懸念しています。マクロな指標ありきで、具体的な現場活動が必ずしも反映しきれていない指標が提起されてしまっているのではないでしょうか。

     キャリア支援者、ダイバーシティ開発支援者、人材開発/学び直しの担当者はこのような、アンラーニングに向き合う一人ひとりの組織メンバーのプロセス努力に普段から接しており、そのプロセス改善を想定した、生きた指標の活用性を理解しておられる方々です。しかし、今採用されようとしている人的資本指標は、そのようなプロセス努力の延長におかれた指標という位置づけになっているでしょうか?私は、初めに指標ありきの動きにどうしても懸念をもってしまうのです。

     そして、もうひとつ。このような指標を支えるプロセスダイナミズムは、人事制度と密接に関係すると同時に、制度以上に人事の運用・展開と密接な関係を持ちます。人事企画・経営人事部隊が構築する指標は制度中心であり、現場展開におけるすり合わせ、あるいは穴を埋める運用といったきめの細かさに欠ける場合もあるかと思います。図表1は、人的資本経営で求められる活動のまとめですが、この図表1の青抜きした項目の人事と現場支援部隊との協業が必要なのです。ところが、現場で活動をしているキャリア支援、ダイバーシティ開発、人材開発で活動されておられる方々が、この人的資本経営指標作成プロジェクトに実は参加されておられない。私はプロセス改善と、個々人の新たなチャレンジが、反映される仕組みの構築があって、人的資本経営指標が「生きて」くると考えるのですが、そのような対応を可能にするような指標となっているでしょうか。

    人的資本経営で求められる活動

  7. ジョブ型人事は解決策になるか
  8.  人事の仕組みの改善で、語られているのがジョブ型人事です。しかし、このジョブ型人事で、従業員エンゲージメントやワークエンゲージメント、一人ひとりの社員のモチベーション開発や、エネルギーの開発を促すWell-beingといった視点をしっかりと組み込んだ概念構築がなされているでしょうか。どうも、表面的な流行り言葉の活用レベルで終わってしまっていると思えてなりません。私はジョブ型の限界をしっかりと認識することが必要であると考える側の一人です。人的資本経営指標で人事の仕組みなどを想定する時に、ISO30414といった標準的なスキルや職務知識をベースに置く仕組の活用には限界があると考えています。

     このジョブ型に関して私の考えを述べます。私たちの日常の業務活動は定型的・補助的な職務・業務だけで構成されているわけではありません。定型的な業務であれば、Job型対応も可能ですが、非定型的な業務・突発的な事態対応・判断企画業務はいずれも定型的な対応を越えた、個々人が持っている多様な力(タレント力)・状況対応力の発揮を必要とし、それはJob型対応を越えた個々人の総合力の発揮・発動でもあります。

     繰り返しになりますが、私たちは日常活動で、定型的な業務を越え、非定型的・突発的な事態対応・そして判断企画業務に対応した活動を日々実践しています。それが私たちの活動の実態であり、それには多様な力・総合的な力・個々人がもつユニークで複合的な強味や得意技の発揮が必要となります。また業務に向き合うにあたって、矛盾したり、うろたえたりしながら、それでもなんとかしようとする姿勢や、自分のエネルギーの発揮に本気になる行動を開発してもいます。それらの行動を通して自分自身を磨き、そのようなプロセスからの学びが自分自身の「資産価値」として自分たちの中に蓄積されていくことになります。私はこのような力のことを、人的資産開発プロセスの総和とよんでいます。私たちは、標準的なスキル獲得に加えて、個々人の多様な・総合的な、ユニークな力を蓄積していきます。それが個々人のユニークな特性・キャリアを形成し、キャリア自律の生成を促します。

     私は、人的資本経営の指標に定型化された業務に対応するスキルレベルや標準対応力を置くのではなく、一人ひとりの「人的資産開発プロセスの総和」といった力、即ちユニークな特性・複合的な得意技を重視し、その力の発揮がキャリア自律・ダイバーシティ開発において、重要な力となると考えています。ですので、「人的資産開発プロセスの総和」では、組織としてどれほどの多様でユニークな資産をもつ個人を雇用・活用し、その個人同士がさらに相互支援・相互啓発を実践し価値創造を行うことができるかを重要と考えています。人的資本経営指標はこのような個々人の「人的資産開発プロセスと人的資産価値の総和」を指標化する努力が重要であり、ISO30414型あるいはJob型では変化の時代の価値創造型の組織作りを行うには不十分であると考えています。

     組織メンバー一人ひとりのキャリアを支える、個々人のユニークで、多様で、総合的な力をタレント力として重視することが必要であり、人的資本経営指標に、定型化された業務に対する標準スキルや知識を置いてしまっては、個人の付加価値・価値創造、そして組織の変革を促すことに限界があると考えます。

  9. 人的資本経営を支える一人ひとりの力の発揮を正面からとらえる
  10.  そもそも、人的資本経営が目指そうとしている経営人事にかかわる運動は、2010年頃より提起されてきたキャリア自律型の人事制度がその発端にあります。その概念に基づいて、人事の現場では、キャリア自律」運動や、その「支援メカニズム」、「キャリア自律型の人事制度」の構築といった動きを起こしてきました。そのような動きをしてきたのに、人的資本経営といわれても、人事の現場からすれば、何をいまさら感を強くもってしまっています。このキャリア自律を支援する人事の対応力のことを、私は組織のエンプロイメンタビリティとよび、キャリア自律を志向する人たちを、組織が支援することのできる力とよんでいます。

     このキャリア自律の実践には、私は三つの基本的な力の開発と発揮が必要 であると考え、キャリア自律のワークショップ等でこの三つの力の発揮の解説と展開のワークを実践しています。一つはエンプロイヤビリティ。どの組織に行っても雇用され、成果をだすことができる力のことを言います。当然、一般的な意味でのプロフェッショナルとしての力をもつことが必要ですが、どの組織にいっても、その組織のミッション、バリュー、方針、ニーズ、組織の置かれた状況や環境などをしっかりと把握し、それに基づいて行動できること。それには常にアンラーニングし、新たな状況に対応する力が必要と説明しています。レジリエンシーもそのような力のひとつです。

     今一つは人的資産開発力・蓄積力・繋ぎ合わせ力です。この二番目の力と三番目に述べる前向きな行動の習慣化の力のことを私はキャリアコンピタンシーとよびます。どのような状況にあっても自分のキャリアを構築し続けることのできる力のことを言います。私たちの将来は、常に変化に富み、何が起こるか分かりません。そのようなとき、どのような事態にも対応できるよう、自分の中に色々なスキル、多様な力、総合的な力、修羅場や突発的な出来事に対応する力などを開発し、蓄積し、そして、そのような力を繋ぎ合わせ、新たな力を生み出すことが重要となります。プランドハプンスタンスの基本的な考えはここにあります。何が起こるか先は読めません。ハプンスタンス、即ち偶発性です。でもそのハプンスタンスに対応する、準備することは可能です。色々な経験を積む、いろいろな可能性にチャレンジする、ちょっとした出来事も、チャンスが生まれる可能性につながるものとして前向きにとらえる。そのような多様な経験や力の発揮が先行き見通せない中での準備となると考えています。

     最後の3番目は、色々な前向き行動の習慣化努力です。具体的には、手あたり次第になんでもやるということではなく、自分の持っている多様な力の中の強味をさらに強化したり、弱みを克服するような行動をとる。興味をもっているちょっとしたことに対応してみる。その際重要なマインドとして「好奇心・興味・関心・探究心」をもつことが重要です。つまらないこと、ささいなことであっても、好奇心、興味、関心をもち、探求心を発揮する。それにより、その気・やる気・本気というモチベーションが開発されると考えています。さらには自分の過去においてやり残したこと、あるいは自分が大切にしたいと思っている価値観を、組織から与えられた自分の業務・職務に織り込み、業務・職務を自分の仕事に変えていく行動の習慣化が重要と考えています。

     これらの三つの行動を日常業務で実践することを、私はOJD(On the Job Development)と呼び、キャリア自律実践の重要な行動ととらえていますが、このような個々人の能動的なOJD行動が組織全般でどれほど実践されているかなどの指標化は、人的資本経営指標の中の非財務的な指標として重要なものと捉えています。

  11. 経営人事との協業
  12.   現在、人的資本経営指標の公開を2023年度中に実現する活動は、経営者、経営人事・人事企画部門の主導により進められていると考えています。しかし、現場人事からすれば、新しい人事制度につながる、キャリア自律をベースとした一連の人事の制度改革の実施をブロックしてきた対応をサポートしてきたのが、キャリア自律の展開が組織管理を危うくするという認識をもった、保守的な発想をもった経営人事部門なのでは、という認識をもっているのではないでしょうか。経営人事部門に少し厳しい見方になってしまいますが、短期的な結果主義型の極端な成果主義をベースにした資本の論理を追求してきたのは、経営人事部門でも、新しいことにチャレンジするという経営人事もある中で、やや古い体質をもった経営人事部門ではないのかという認識です。ですので、現場人事からすれば、果たして、このような過去の流れを見てきたとき、人的資本経営指標の確立と公開で、どこまでキャリア自律のような人事制度やその運用プロセスを導入できるかには、懐疑的な見方をもってしまうということを危惧しています。私は、人的資本経営指標の構築では、外部ベンダーに丸投げすることなく、組織の中の現場人事と経営人事の協業作りをまずは第一歩として優先することが重要であると考えます。2017年からこのキャリア自律を組織視点で展開するにあたって、セルフ・キャリアドックという考え方の実践が、厚労省のキャリア形成の政策として展開されています。このセルフ・キャリアドックの活動を、どこまで人的資本経営指標に応用できるか、などのディスカッションを、キャリア支援・ダイバーシティ開発部隊と経営人事部門が協業することなどは試してみる価値があると考えます。

     図表1は人的資本経営のガイドラインとして、経産省/伊藤レポートでまとめられた表です。人的資本経営のガイドラインとしてまとめられたものですが、多角的に色々な項目が描かれていますが、これを具体的に実践するには「人事部門の現場」とりわけ、新しい働き方の支援やキャリア自律の支援、ダイバーシティ開発の支援を実践しておられる方々の活動抜きにはこれらの項目への対応は困難です。項目1,2は経営人事、人事企画の専権領域ですが、項目3~8はいずれも、人事の現場活動への対応がしっかりと機能しないとまわりません。ところがこれらの3~8の項目を整理し、具体的な活動に落とし込む担当を担う現場人事の方々が、人的資本経営指標づくりのプロジェクトには参加されておられないのではという懸念をもっています。

     指標を経営的な視点だけで作成するのではなく、その指標が一人ひとりの組織メンバーにどのような意味をもっているのか、その指標の改善として、一人ひとりの組織メンバーに何を求めるかなどをしっかりと理解することが重要です。人的資本経営指標の改善に現場人事のスタッフの参加が必要不可欠であるにもかかわらず、実際の指標づくりでは、経営人事・人事企画・そして人的資本経営指標を提案しているベンダー中心で回ってしまっています。これで大丈夫でしょうか。

  13. エンゲージメント・Well-being
  14.  このような状況認識をもとに、人的資本経営指標の公開においては、「人的資産開発プロセスの総和」が重要であるという視点を強調してきました。このプロセスに関して、エンゲージメントとWell-beingという視点でさらに検討を加えます。

    (仕事開発プロセスの困難さ)

     私は業務・職務は会社から与えられたものであり、その業務・職務に自分が大切にしている、様々な概念を刷り込む・織り込むことが重要であり、それが業務・職務を自分の「仕事」に変え、働きがいと働きざまを生みだすという考えを持っています。まず、仕事への変換とそれに向けた行動の開発には、私は「働きざま」のプロセスが深く関与すると考えます。私たちは働きがいという言葉になじみがあり、働きざまという言葉をイメージできないと思います。でも私のキャリア論では、「働きざま」という概念を重視しています。働きざまは、業務中心、業務満足の延長とは一線を引き、むしろエンゲージメントプロセスには働きがいではなく、働きざまプロセスが必要であると考えています。

     それでは、働きがいと働きざまの相違を検討してみましょう。私は、働き方において、働きやすさ;働きがい;働きざまという働く三つの切り口を整理しています。働きやすさとは、組織の視点からみた、働く環境の整備であり、個々人が安心・安全・安定して働くための環境作りに必要不可欠の諸要素から成り立っています。「快適職場」の推進、現在すすめられている「新しい働き方」は、安心・安全・安定・快適に働くための環境整備として最低限必要な条件から構成されています。ここで注意すべきは心理的安定という概念 には、このレベルで捉える考え方も存在しているという問題です。心理的安定を働きがいではなく、働きやすさとしてとらえると、個々人の心の問題というよりも、環境問題により、説明されるものとなり、この混同は、ボタンの掛け違いのような厄介な問題を引き起こす可能性もあります。

    (仕事開発プロセスの出発点としてのWell-being)

     このような環境整備と密接な関係にあるのがWell-beingです。私はこの環境を担保でき、前向き、積極的に「業務」に向き合い、「仕事」を開発していくスタート地点としてのWell-being状態を仕事開発プロセス に向けた出発点として重視しています。最近のWell-beingの取り扱いや、人的資本経営のWell-beingは、出発点というよりは到達する状態としてWell-beingを取り扱うところに特色があると考えています。

     ここでWell-beingと健康経営との関係で少し解説しますと、経産省は昔から健康経営を重視した施策を打ってきています。経産省が取り扱う健康経営は、健康をひとつの結果状態と捉えることに特色があると考えています。それは健康保険組合の財政の健全化と深く関わり合いをもっています。日本の健康保険組合は慢性的な赤字でその改善に苦労しています。ですので、財政的に安定するには健康状態が良い状態を維持することが必要であり、それには健康な状態という結果変数として健康経営をとらえることが必要となってきます。しかし、私はWell-beingは、様々な活動の結果として獲得されていく結果状態よりも、仕事開発の一連のプロセスとしての働きざまを乗り切り、エンゲージメントプロセスを開発・実践していくにあたってのスタート状態としてとらえています(このWell-beingの位置づけは図表2・3にモデルでまとめてあるので、Well-beingの位置づけとして確認してください。)。

     「働きがい」は色々な解釈がある中で、私は現在の「業務」を自分の「仕事」としてとらえ、能動的・主体的に「仕事」を開発していく仕事に向き合うプロセス状態とし、それを「働きがい」としてとらえています。それゆえ、「働きがい」は、直面している業務の仕事化のプロセスであり、個々人の能動性・積極性の発揮により、仕事開発の重要なエネルギーがうまれ、働きがいに向けた仕事化活動が展開されるプロセスと捉えています。しかし、現実の働く現場では、この働きがいが簡単に達成できるようなやわな状態で成立していません。もちろん働きがいは重要ですが、むしろ様々な困難な、矛盾に充ちた、理不尽な状態で一生懸命働くプロセスとそれを乗り越えるプロセスをもっと重視することが、長いキャリア開発・形成においては大切と考えています。

     「働きざま」は働きがいに比べ、より不安定な状態であり、長期に渡るキャリア形成活動における、揺らぎ・不安・自信喪失などのダイナミックな心の動きを包含しているプロセス状態と捉えています。我々の日常は、「働きがい」のような、業務に自分の価値観や大切な想い、自分にとっての強味の力の織り込み・刷り込みといった、個人にとって、いい状態を切り取った仕事に向き合う、いいとこどり状態からは成立していません。我々の日常の業務・仕事では、こころの揺らぎ・不安・修羅場対応からくるストレス過多状態など、必ずしも能動的・前向き・積極的なマインドを維持できない局面から成立していることが、より普通の状態であると思います。

     私は、連続的な「ストレスフル」状態に向き合う姿勢と、それを克服するための努力プロセス、そのプロセスにおける迷いや不安などをベースとして、我々のキャリア形成行動が成立していると考えています。私の「働きざま」では、きりとられた「幸福感に充ちた働きがい」ではなく、ストレスをかかえ、心の揺らぎの中で迷い、自分を見失い、修羅場の中で押しつぶされる状況を経験し、さらにしがらみなどの理不尽な対処に向き合い、それでも行動を開発しなければならないという現実を受け入れ、それらの矛盾に充ちた、不都合な真実・現実を抱えながらも、前向きに行動しようとする、働くプロセスを否定しないことが重要であると考えます。

     修羅場に向き合う、理不尽に向き合う、不都合な真実に向き合う、矛盾に向き合う、コントロールできない状況に向き合う、そういう状況の中でも、能動的・主体的・積極的に行動することが重要であると考えます。その意味から働きざまはどのような状態にあっても力を発揮する「キャリアコンピタンシー」や、どのような組織においても力を発揮する「エンプロイヤビリティ」といった力の発揮を重視することになります。「働きがい」はそのような矛盾・理不尽・修羅場の克服という「プロセス」よりも、自分の価値観に見合った働き方、意味ある働き方といった「状態」からくるマインド形成プロセスと考えています。このような働きざまへの乗り切りには、一人ひとりでの自律的な対応に加えて、多様な仲間の支援、相互の啓発などが重要となるとも考えています。

    (働きざまのプロセスからエンゲージメントを考える)

     そこでエンゲージメントを考えてみましょう。私は、現状の人的資本経営におけるエンゲージメント理解は、ジョブエンゲージメント、あるいは 従業員エンゲージメントといった、仕事に対するマインド状態を前提としたマインドの可視化・測定を前提としているところが問題という視点を持っています。ジョブや従業員エンゲージメントは、自分のスキルや価値観に見合った業務・職務を担当でき、エネルギーを発揮できる状態として捉えていると理解しています。一般論としては、こういった働きがいにベースを置くのがワークエンゲージメントなのではないでしょうか。しかし、私のキャリア論は違います。私はエンゲージメントをイキイキ状態のマインド発揮としてだけでとらえるのではなく、その状態に向けての様々な経験、その経験の乗り切り、その際発揮してきた力・多様な力の組み合わせ、それらの能動的・前向きに生きる努力プロセスをしっかりと抑えることが重要であり、人的資産開発プロセスそのものをエンゲージメントプロセスとしてとらえているのです。いいかえるなら、私は、エンゲージメント状態をキャリア自律で開発していくプロセスの可視化と指標化でとらえているのです。しかし、現在の人的資本経営では、このようなプロセス指標というよりは、マインド状態としてとらえ、日々のキャリア開発行動を通した一連のプロセスとしてエンゲージメントをとらえていません。私はそこに問題があると考えています。エンゲージメントをマインドという枠の中に押し込めない。むしろ、どのようにエンゲージメントを開発していくかというトータルなプロセスとしてマインドから解放していくことが重要であると考えているのです。

     例えばユトレヒト大学で開発したエンゲージメントはワークエンゲージメントです。ユトレヒト大学のワークエンゲージメントは、活力・献身・熱中の3構成要素からなり、活力では・仕事中は強い活力を感じる・朝起きたら、すぐに仕事をしたいと思うなどの6設問、熱中では・仕事に熱中しているときが幸せだ・仕事にどっぷりとつかっている感じだなど6設問、献身は・のめり込める仕事を担当している・自分の仕事はやりがいを感じるものだなど5項目から成立していますが、いずれも、担当する仕事に対するエネルギー、マインド、自分にとっての意味などから構成されています。それに対して私は、より総合的な働きざまのプロセスからエンゲージメントをとらえています。

     私の開発している総合的エンゲージメントはマインド系のワークエンゲージメントというよりは:

    1. 個人のWell-being度・元気度・前向き度(出発点としてのミニマム行動発揮状態)
    2. 個人の仕事に対する好奇心・興味・関心・探究心の強さ
    3. モチベーションの開発度
    4. 個人のキャリアコンピタンシー発揮度(プロセスとしての各自の活動実践度)
    5. 個人のダイバーシティ開発度 (多様な力を構築する力・多様な能力を繋ぎ合わせる力・継続的な人間力/キャリアコンピタンシの拡大、ストレッチングの習慣化とその活用度により、個人の可能性の拡大と資産価値の拡大)
    6. 人間関係構築度、他者への貢献度・お役に立ち度・必要とされる程度・期待の強さ・活動の要請などへの対応がどれほど実践されているか

     私は、この6要因の総合を仕事と生き方に向けたエンゲージメント度ととらえており、総合的エンゲージメント度はこの6要因でとらえています。言い換えるなら、エンゲージメントとは仕事と生き方の成長・発達・開発の統合プロセスであり、この統合的・総合的な仕事と生き方に対するエンゲージメントを各キャリアステージごとに把握することがセルフアセスメント・気づきとなると考えます。

     まとめると、現状の人的資本経営におけるエンゲージメント理解はマインド系として位置付けられているようですが、私はマインド系から切り離し、総合的な働くプロセスと生き方としてとらえることが指標の改善などを考えると、より有効であると考えます。ジョブエンゲージメント、あるいは 従業員エンゲージメントの延長でエンゲージメントをとらえると、職務満足のマインド状態が主たる指標の中心となり、エンゲージメント理解を矮小化してしまいます。ジョブや従業員エンゲージメントは、自分の価値観に見合った業務・職務を担当でき、エネルギー一杯の状態として捉えるが、私はむしろ、エンゲージメントをイキイキ状態の発揮としてだけでとらえるのではなく、その状態に向けての様々な経験、その経験の乗り切り、その際発揮してきた力や、多様な力の組み合わせ、それらの能動的・前向きに生きる努力プロセスをしっかりと抑えることが重要と考えます。そして、それは人的資産開発プロセスそのものです。そのプロセスを可視化し、指標化することにより、指標の改善や人事プロセスとの連動でおさえることが可能となり、人的資産開発プロセスの総和として理解することになると考えます。現在の人的資本経営では、このようなプロセス指標を十分に反映できていない問題があるのです。このプロセスをまとめたものが図表2です。図表2はWell-being、キャリアコンピタンシー、エンゲージメント、モチベーション開発をまとめたもの、図表3はこの一連の関係に組織へのコミットメント、働きざまと個人の元気を組み込んだ図となっていますが、これにより、エンゲージメントをどのようにとらえるかを理解いただけるものと考えます。

      様々なキャリア自律の形成における一連の活動プロセスを重視します。、働きざまといった現実の困難な働く場での前向きな対応度が人的資本経営の指標として活用されることが人的資本経営の真の意味につながるのではないでしょうか。そこから多様な資産が形成され、チャレンジを可能とする機会が構築され、それがチャンスにつながるという、一連のキャリア自律行動を広義のエンゲージメントプロセスとして把握することが可能となってくると考えます。私は人的資本経営の強化・改善にあたっては、現在活用されようとしている、マクロな指標在りきといった指標では、本質的な人的資本強化にはつながりにくいのでは、という懸念を持っています。、現状の指標在りきは、人材開発プロセスの強化や改善にはつながらず、指標の公開で終わってしまう危険性があると考えるのです。であるとするなら、我々の対応は明白です。単なる既存指標を修正した指標の公開ではなく、キャリア自律行動のプロセスをしっかりととらえ直すという、人的資産開発プロセスの総和そのものをエンゲージメントプロセスとして捉えるアプローチの採用です。そして、それに関与する、OJD,仕事作り、役割づくり、居場所作りなどを相互支援・啓発というプロセスなどでしっかり把握し、個々人の働きざま対応力を拡大し、そこから個人の器が拡大され、ダイナミックな成長が生まれるという一連のプロセスが人的資本の強化そのものと考える次第です。

 最後に私の懸念と対応策を表にまとめたものが図表4となります。これらの一連のモデルやキャリア自律、セルフ・キャリアドックを通した人的資本経営の理解と指標化に関してのプロセスコンサルテーション型の現場展開や、キャリアアドバイザーの役割などは、私が丸の内シティキャンパスで実施しているキャリアアドバイザーコースのベーシック・アドバンス・指導者育成コースなどで対応しております。ご興味のある方は、この一連のコースにご参加いただければ幸いです。


高木聡一郎

花田光世(はなだ・みつよ)
一般財団法人SFCフォーラム代表理事
慶應義塾大学名誉教授

慶應MCC担当プログラム
キャリアアドバイザー養成講座
キャリアアドバイザー養成講座<アドバンス>
組織版キャリアコンサルティング指導者育成プログラム

南カリフォルニア大学Ph.D.-Distinction(組織社会学)。産業能率大学教授、同大学国際経営研究所所長を経て、1990年より慶應義塾大学政策学部教授。企業組織、とりわけ人事・教育問題研究の第一人者。
日本企業の組織・人事・教育の問題を研究調査、経営指導する組織調査研究所を主宰する。特に最近はキャリア自律プログラムの実践、キャリアアドバイザーの育成、Learning Organization の組織風土づくりなどの研究や実践活動を精力的に行う。
日本人材育成学会副会長、産業組織心理学会理事をはじめとする公的な活動に加えて、企業の社外取締役、経営諮問委員会、報酬委員会などの民間企業に対する活動にも従事。現在は、キャリア・リソース・ラボの活動に加え、財団法人SFCフォーラム代表理事として活動。著書に『新ヒューマンキャピタル経営 エグゼクティブCHOと人材開発の最前線』(日経BP社)、『「働く居場所」の作り方‐あなたのキャリア相談室』(日本経済新聞出版社)、『その幸運は偶然ではないんです!』(ダイヤモンド社)などがある。

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